トミタブログ

表現はどこまで身体の一部にできるのか

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ワールドカップ日本代表初戦は残念だったが、それにしても昔の日本のサッカーとは隔世の感があった。

考える前に動く感覚が、ぐっと世界レベルに近づいたなぁー…そう思った試合だった。
サッカーというのは野球なんかに比べてずっとプリミティブな身体表現だと思う。相撲と野球は名乗りを上げて一騎打ちする武将の戦に近いものを感じるが、サッカーは日本人には向かないと思ってた。しかしまぁここまで来るんだね。アフリカや中南米の黒人的な身体性とは違う、何というかある種の舞のような動きが完成したら、世界があっと驚くサッカーができるのかもしれないと思いましたよ。
話は変わるけど、同じことは楽器を使った音楽表現にも言えると思う。
ごく普通の人にとっては楽器は思うままにならない異物で、それを使って自分の表現したい音を奏でるのは難しいことだ。それが口笛や歌うということなら、まぁまぁ自在に(とまではいかなくても)、イメージの音を出すことは可能だろう。しかし、黒人という人たちは本当にそういう感覚が優れていて、身近な道具をどんどん自分の身体性の一部に取り込んで表現の幅を広げていく。
このビデオをみて欲しい。たった一本の弦のギターで、すっかりバンド並みのグルーヴ感!恐るべきだ。
次にこちら。ウガンダのピグミーの動画。
うたと踊りと、しゃべることや歩くことと、なんの分け隔てもない感じ。
すごいね〜。
でもね、日本人だって負けてませんよ。
次にこのビデオをみて欲しい。
一切手元を見ないその演奏は、ワンストリングギターのグルーヴ感とはまた違う、ある種の覚醒的な世界観を感じさせてくれる。
能舞台で舞う役者が、何処か異空間に行ってしまったのを目撃したような面白さ…。同様の感覚は、日本の芸能だけでなく、中国やバリなどの芸能にも見られる。たぶんそれが亜細亜の芸能の極みなのだろう。
サッカー日本代表が本当に世界と戦うためには、やはり東洋の指導者が率いている必要があるのかもしれません。(僕はザック好きだけどね)
ちなみに、先ほど紹介した三味線奏者の史佳さんは、今月僕が演出するイベント「あさくさ和装塾  THAT’S和ンターテインメント」に登場します。もう少しお席ありそうなので、本物の三味線聴いたことない人はぜひご参加ください!衝撃うけること間違いなしです。
詳しくはこちらへどうぞ。
いやぁ人間ってすごいですね。
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