トミタブログ

お金のためにじゃなくても人は働くものかしら?正月に見た未来の夢

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2017年、あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いいたします。

昨年のお正月には「理想」の話をブログに書いて多くの反響をいただきました。ファンクションとメッセージのバランスが取れているのが「理想」だと気がついたという話。(ご興味あればコチラをどうぞ)

今年は、昨年末から「働く意味」「仕事」ってことを考えていて、ちょっと未来について思ったことがあるのでまた正月ブログとして書きとめておきます。

 

人に最後に残る仕事は、「喜び」を求めてする仕事

「AIや機械に奪われない人間の3つのスキル」の話は、年末のブログにも書きました。米コンサルティング企業のビートラックス社によれば、将来AIや機械がさらに発展しても奪われない人間のスキルは次の3つだそうです。

 

「クリエイティブ」、「リーダーシップ」、「起業家」

 

比較対象のフェーズがバラバラなこの3つスキルの本質を考えると、人の方がそれをするのに優れているからというより、機械にはない感覚だから奪われないんだろうなと思います。

これら3つのスキルの達人は、「言われたからする」のではなく「言われなくてもする」のです。お金のためでも誰かに命じられたからでもなくて、そうすること自体がその人の喜びという仕事の仕方は、機械にはちょっと意味不明なのではないでしょうか。(え、あなたにも意味不明ですか?)

前回のブログ「いつか「労働」は死語になり、あとには「仕事」だけが残るだろう」では、本来の仕事で得るべき報酬に「お金」以外に「喜び」と「信頼」があると書きました。このうち「信頼」は他者との関係ですが、「喜び」は誰に褒めてもらわずともいい仕事をしたら自分自身が感じる自己完結的な感覚です。

そして、「喜び」を感じるのに主に3つのタイプがあってそれが上記の3つのスキルなのではないかと思うわけです。

 

ここで、「理想」のときと同じように、漢字一文字でその3つのスキルの元にあるものを表してみると、富田が出した答えはこうです。

  • クリエイティブとは「」を生み出すことに喜びを感じ
  • リーダーシップとは「」を果たすことに喜びを感じ
  • 起業家とは「」を追求するのに喜びを感じる

 

人には、「利」と「美」と「義」を求めるタイプがいる

「利」は「理」でもあり、それは役に立つことや合理的に多くの人が良しと思うことです。それがお金にも形を変えて利益となっていくわけで、もっとも一般的に分かりやすい行動原理ではあります。

分かりやすいというのはつまり、AIや機械にも真似しやすいということですので、本当に機械に奪われないスキルとしての「利」の追求は単に儲かるレベルではなく「社会の利を追求する」ことへの喜びです。

 

リーダーシップにももちろん「利」の追求は必要に違いありません。しかし、その事業をなぜ起こすのかという想いのある起業家と違い、そのビジョンが示されたあとの「利」のマネジメントというのは本来かなりAIが強いのではないかと思います。

それよりも、AIや機械が発想しづらいリーダーの資質は「義」ではないかと思うのです。

「義」を説明するのはものすごく面倒ですが、簡単にいうと、「得にもならないし正しいとも思わないけれど、それでもしなければならないこと」でしょうか。任侠映画では最後にヒーローは義をもって行動を決するわけです。

韓国のような儒教が強い社会ではこの「義」の重みがより力を持ちますし、日本人の行動規範にもかなり重要な位置を占めます。西欧やラテンの社会でもそれぞれに内容は異なっても同じようなことはあるでしょう。

この「義」による行動、特に間違った行動を縛るために「法」という考え方があり、それは法律というよりも「守るべき真理」ということでしょうが、実際には「義」による行動がひとの心を魅きつけたりするのが人間のなかなかに複雑でバカで愛すべきところなのです。

 

そしてクリエイティブは「美」の創造のために動く。「え?プロであればお金のためでしょ?」という人は機械に仕事が奪われていく可能性が高いのでお気をつけを。

もちろんお金は必要です。しかしお金が行動原理の一番ではぜんぜんありません。デザインでもスポーツでも料理、小説やマンガでも、クリエイティブといえるレベルの人は自分がしていること自体が楽しくてやっているのではないでしょうか。子供が砂場でいつまでも遊んでいるのと根本は同じです。

もちろん、作品やしていることが「評価」されればより嬉しい。それは間違いありません。

しかし、「評価されるためにやっている」と思ったら、その人は本当にクリエイティブな人の行動原理を分かっていません。本質的には、ただ好きだからやっているのです。だからこそ「職業」にしようとしたときにはギャップに苦しみ本質が見えなくなるのですが・・・。

 

「普通の人」の仕事はどうなるのか?

ここで、将来の仕事のあり方を考えてみましょう。「クリエイティブ」「リーダーシップ」「起業家」のスキルを伸ばして、すべての人に十分な仕事があることが期待できるのでしょうか?

もしそれを「労働」つまり「お金」を得るために労働時間を売るということだと考えると、それは無理でしょうね。だって、そもそも人が働かなくていいようにAIや機械が発展しているのですから、それで労働時間が減らないとしたら、それ自体が大いに矛盾ですよね。

一方で、自分の「喜び」と他者の「信頼」を得るための仕事だと考えられれば、いくらだって仕事はあります。自分ですればいいのですから。「お金」は、そのうちのごく一部のひとに集中し、いわゆる普通の人は「お金」を目的に仕事をするのは難しい時代になると思います。

「それじゃ食っていけないし、そんなの仕事じゃない!」という人もいるかもしれませんが、いえいえ仕事とは本来そういうものということと、機械が発展していくのは人が働かなくていいようにすることだと考えると、よほど本質的な「クリエイティブ」「リーダーシップ」「起業家」でなければ、お金を大きく得る仕事は無くなっていくと考えねばならないのではないでしょうか。

 

もちろんそれは多くの人が困るので、政府の規制が入ったり、極めて悪環境であろうが「労働」を守るという矛盾した政治家が一時的に票を集めたりすることでしょう。不安や不満を感じた多数派の行動結果が昨今の世界の政治にはよく現れています。しかし時代の向かっている方向自体は変わるはずもありません。

 

では、普通に働き、普通に暮らし、普通に幸せには生きられないのか?

いいえ、僕はそうだとは思えません。

 

なぜなら、「クリエイティブ」「リーダーシップ」「起業家」の中で世を動かしていくトップたちにとって、普通の人がたくさんいて幸せに暮らしているということは必要不可欠だからです。

オーディエンスであり、シチズンであり、マーケットである人たちがいてこそ、「クリエイティブ」「リーダーシップ」「起業家」のトップたちは「喜び」と「信頼」を得られます。多くの普通のひとは、ただ幸せに生きているというだけで大きな「価値」がある・・・ということに彼らの結論は向かうのではないかと僕は思います。

その結果どうなるのか?

僕は、そう遠くない未来に、歴史的紆余曲折を繰り返した上で最後は「ベーシック・インカム」を導入する方向に世界は向かうのではないかと思っています。

 

ベーシックインカムの時代に「仕事」はどうなるか

darumaベーシックインカムとは、すべての国民に政府が無条件に定額を支給するという制度です。
ただ生きているだけで価値があるということを制度化し、人が最低限困らず生きていけるように保証するのです。これで、何も「労働」しなくても生きていけます。

そうなったときに、人は何も仕事をしないでいられるでしょうか?

もちろん耐えられません。きっと何かしはじめます。

単純労働はどんどん機械に奪われるでしょうが、僕の予測(意見)では「ベーシックインカム」と共に「最低賃金」も撤廃されると思うので、機械よりももっとコスパがいい労働を提供するひとには「労働」は残ることでしょう。

最低限の収入は約束されているので、ここで「労働」して得るお金は低くてもいいというか・・・いえ、良くはないですが、「単純作業が好き」「喜びを感じる」という人はきっといると思うので、その労働で「喜び」「信頼」を得ていることも含めて幸せに生きられるのであれば良いのではないかと思います。

「起業家」にとっても、機械以上にコスパのいい労働力が確保できるのはいいことでしょう。

 

そうです。ここで、多くの人が「仕事」に対する考え方を転換できるかどうかに、未来がかかっているのではないでしょうか。あくまで「お金」のために労働時間を売る発想・・・仕事とはお金を稼ぐこととしか考えられない発想では、こんな低い賃金でこんなに労働させられて辛い辛いと多くの人が不幸に向かうでしょう。

一方で、「お金」のために働くという呪縛から逃れることができれば、それぞれの「クリエイティブ」「リーダーシップ」「起業家」の資質を発揮して思う存分「仕事」をすることができます。

生きる最低限が保証されているなら、生活環境がよく食べ物がおいしくて安い地方に住む人が増えるに違いありません。そして何か自分でも作ったり採ったりしながらより充実した毎日を過ごせるかもしれません。

お金を得るためではなく純粋に作る喜びのために、様々な面白いもの美しいものを生み出す活動に人生を向ける人も出てくるでしょう。社会にもっと「利」をもたらそうと様々なアイデアで起業する人も出てくるでしょう。

そしてその何%かは結果的に「お金」も大きく得ることができることでしょう。この人たちがベーシックインカムの財源を支えるという構造です。

問題は、こうした思う存分「仕事」をする人が出てこなかった場合に、財源を支えるほどの経済が回るのか・・・という点ですが、人はそもそも仕事したいものなのではないかという根拠ない働きもの説を信じたいと正月に夢見ている富田です。

 

2017年、本年もよろしくお願い申し上げます。

富田剛史 拝

 

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