トミタブログ

笹倉鉄平さんの原画を見て感じた、絵というメディアの面白さ・・・光景と風景と情景の違い

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笹倉鉄平展2021

メディアプロデューサー、「メディア化」コンサルタント、トミタプロデュースの富田剛史です。

先日、妻に誘われて上野の森美術館でやっていた笹倉鉄平展を見に行きました。

笹倉鉄平さんと言えば、ヨーロッパの幻想的な夕暮れ風景で有名な作家で、シルクスクリーンの複製画がデパートなどでたくさん売られる人…という印象でしたが、今回初めて原画を、しかも大量に見てずいぶんイメージが変わりました。

そこで感じたことを備忘録がわりにブログに書いておきます。

形のない「光」を、透明度のない画材でどう描くか

今回見た原画のほとんどは、油絵の具またはアクリル絵の具で描かれていて、透明度のほとんどない素材です。しかし、笹倉さんの絵を知っている人なら誰もが知っている見事な透明感がどの絵にも溢れています。

絵画という芸術は、光をキャンバスに封じ込める作業と言って良いでしょう。光はそもそも透明で、午後の庭に差し込むまばゆさや、夕暮れのぽつりぽつりと点き出した街灯の光を表すのに、透明度の無い油系画材でどう描くのか…。ルノワールやスーラなどが活躍した印象派の時代に、たくさんの才能あふれる画家たちがこの難題に挑戦し、見事な答えを出していっています。

笹倉鉄平さんの絵は、原画に近寄ってみると実に様々な技法でその「光」を描き分けていて、それにまずびっくりしますが、その技法のことをくどくど書くのはやめておきましょう。
それよりも、全体の印象の話を伝えたい。

笹倉鉄平のヨーロッパの絵に感じたこと
サンタクロースの目には、世界はこんな風に見えるのではないか…

今回の展覧会は、1階と2階に展示室が分かれ、1階には笹倉さんの代名詞であるヨーロッパの街の主に夕暮れ時を切り取った絵です。

春夏秋冬どの季節の絵もあるのですが、僕がイメージしたのは「クリスマスみたいな絵だなぁ」ということ。サンタクロースの目で見ると、世界はたぶんこんな風に見えるという感じです。

確か、一階の展示室の最後のあたりに、60代後半の年齢にかかった笹倉さんが「絵を描く一生も悪くないと思った」というような言葉を書いていて、その言葉にも同じことを感じました。うまく伝えるのは難しいけれど、【画家という職業】ではなく、【絵を描く一生】という生き方を選んだ自分への満足感が現れていて、ここで僕はだんぜん笹倉鉄平のファンになったわけです。

日本国内の絵に感じた違和感とは

そして2階の展示室に行くと、今度は日本国内を描いた作品がずらりと展示されていました。

画家自身の説明によれば、「同じように光を描こうとしても、それは自分にとってとても難しい仕事だった」というようなことが書いてあったと思います。また日本画という技法でこの国の光を描き取ろうとした先人たちへのリスペクトと、しかし自分はあくまで自分の方法でこの国の光をキャンバスに描くという決心も書かれていました。

確かに、画家の苦悩・苦心は画面に現れています。1階のヨーロッパの絵とはまったく違う、なんとも言えない違和感というか・・・。

サンタクロースはどこに行ったのだろう?・・・と思った時にふと、「そうか」と思ったのです。

もしかしたら、笹倉鉄平のヨーロッパの絵みたいなのを「光景」というのかもしれない。そして、同じ作家なのに日本国内を描いたときにそれは「風景」になった感じがする・・・と。

光景と風景、そして情景とは、そういうことだったのか・・・

辞書的な言葉の定義はともかく、「光景」と「風景」とでは、現実感の差がある気がしたのです。

ヨーロッパの街を旅人として描いている目線は、まさにふわふわと空を飛びながら皆の幸福を祈る神様のような視線なのですが、自分の生まれ育った国に戻った途端それは、肌に感じる風や記憶を刺激する匂いや湿度などいろんなモノをまとって「光景」から「風景」に変わったのではないかと。

ヨーロッパの絵に比べて、画面に登場する人々の息遣いが違う。映画「ベルリン天使の詩」で、天使が人間界に憧れて堕天使となり、感じたことのない肉体の重さを噛み締めていたのを思い出します。

サンタクロースも自分の生まれ育った街の家々を回るときは、少し気分が変わるのかもしれません。いろんな事情も分かるし、下手すると泥棒扱いされそうですし。(笑)

そんな、日本を描いた絵の中で、画家の迷いがふっと消える感じがするのが富士山と湖の絵です。これを言葉で表現するのは非常に難しいけれど、笹倉鉄平さんらしいやり方で「風景」と「光景」の中間くらいの目線を感じました。

霊峰富士が教えてくれたのかも、日本の神さまとの付き合い方を

霊峰富士は神さまそのものですから、サンタクロースや天使とではなく、画家は日本の神さまとも仲良くなったのかもしれません。

どこかの寺の大広間のような部屋の中から、秋色に染まる庭を眺めたくっきりした光と影の絵など、日本画的な感じではぜんぜんないのに、まさに日本の風景を写し取っていて、とても魅せられました。

そして展示の最後の方に、京都の舞妓さんが暖簾をくぐって入ってくる絵がありました。この絵にはこの舞妓さんの「人間」を感じ、画家も「人間」として気持ちを交わしている感じがしたんですね。

その時、もしかしたらこういうのを「情景」っていうのかもしれないなぁと思いました。

ここで、1階の展示を見ていたとき以上に、僕はこの画家が好きになりました。

まぁ、だからどう…ってことはありませんが、「絵というメディア」が伝えられることがいろいろあることに気づくことができて、面白かったという話でした。

ちなみに、Wikipediaによれば、笹倉鉄平さんは誰が呼んだのか「光の情景画家」と称されるそう。なかなかの名コピーですな。

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