富田 剛史(とみた つよし)
Different is better than better
トミタプロデュース株式会社 代表取締役
メディア・プロデューサー
クリエイティブ・ディレクター
経営戦略プランナー
生年月日:1964年8月26日
出生地:熊本市 育成地:横浜市
高校:横浜市立金沢高校(83年卒)
大学:東京都立大学経済学部(87年卒)
専門分野:
・コンセプト企画~独自コンテンツ制作
・WEB+SNSメディア構築と情報発信パターンの構築
・WEBマーケティングと宣伝PRツール制作
・SDGsとESD研修と実践企画構築
・地域独立系ビジネス起業の支援
・理念と売上げを合わせた経営戦略・戦術企画
違いを生む独自発想と、マーケティング戦略・経営視点とをあわせ持ち
地域や個店、個人にある独自の魅力を、商品企画・サービス企画・イベント企画・メディア企画などに具現化して、魅力的に発信することで持続可能な形を作る専門家
判官びいきで "第二" 好き。
第二電電の立上げに参画し、第二FMでプロデュース経験蓄積
1987年、創業期の第二電電(株)(現KDDI)に入社。日本初の携帯電話事業(現au)立上げや、戦略広報誌の企画・創刊などを行う。メディアを味方につけ「民営化~公正競争が日本の通信を発展させる…」という世論を意図して作っていくことを体現した。
第二電電が安定期に入った1993年、創業期新卒ではいち早く転職、全国網局に対抗し地域毎に独立編成した第二FM局が次々開局していたラジオ業界へ。番組やイベントやネット企画など様々な分野でプロデュース経験を積む。ラジオ以外にも、当時店舗のメディア化を図ったローソン店内BGMの放送化推進や、日本初のケータイTV局で独自の制作スタイルを確立するなど従来にない発想で独自コンテンツを生み出す企画力・具現化力には定評があった。
福岡県のFMラジオ局の事業再生で得た経験
2008年、破たんした福岡県域の独立系ラジオ局cross fmの事業再生に参加し営業担当取締役に就任。意気揚々と乗り込むが、局と株式関係が無くなった地元大手企業は当然のようにスポンサーを降り、そこにリーマンショックが起こり全国企業からの出稿も厳しい状況になった。
資本金7500万円の新会社が3ヶ月連続で1000万円の赤字を出し、再破たんの危険に眠れぬ日々を送る。ここで富田は、自分の得意なやり方で営業するしかないと気づき企画力で勝負に出る。
安易なクライアントお任せ番組ではなく、スポンサーの社長や社員の個性を活かしてより面白くする独自番組を多数プロデュース。また、著名人ゲストに頼りがちだった行政イベントに、まち本来の面白さを主軸に、地元の魅力的な人をキャストにして、本当のにぎわいを作る企画を次々と実施する。
多くの営業に成功するとともに地元企業オーナーや表現者たちが番組やイベントの主役〜人気者になり、結果としてcross fmのブランドUPと長期安定的な収入を同時確保する形を実現。2009年から3期連続の黒字化に貢献した。
中小実業、地域経済…「実体経済」を持続可能にする企画参謀になる
SNSの普及~LIVE配信時代への変化、東日本大震災後の価値観変化
「メディア化」した社会に必要なノウハウを伝えたい
2011年3月の東日本大震災で感じた世の中の価値観の変化とネットを中心としたメディア環境の急激な変化を感じ、2012年7月 に地域独立企業や個店・個人や地方自治体など魅力的な「実体経済」を持続可能にしたいと考えトミタプロデュース として独立。
誰も彼もが「メディア化」していく社会で必要な、メディア側の人間が体験してきたプロデュースのノウハウ、ファンを広げながら持続するビジネスの方法論を多くの人に伝えたい。
ユニークな企画力、マーケティング力と経営視点を持つ構成力、演出・制作力で、商品やサービスのプロデュース、店舗プロデュース、起業家プロデュース、地方創生企画などを実施。
中小企業やお店の「オウンドメディア戦略」や「独自コンテンツと情報発信を軸にした地方創生コンサルティング」やプロデュース、「プロデュース型人材」の育成研修にも力を注いでいる。
トミタプロデュース株式会社 代表取締役
関門時間旅行プロジェクト 代表
一般社団法人 日本女性起業家協会(日本ママ起業家大学)理事
青山ヒューマン・イノベーション・コンサルティング株式会社
(青山Hicon)主管研究員/地方創生事業 部門
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