2003年に、富田の古巣KDDIから、「フラッグシップ施設の建設を検討する」との情報。
「フラグシップ?」
「要するに旗艦店・・・大きなショールーム。KDDIの考える未来を見せる」
直感的に思ったのは、
「莫大な金をかけて、好きな人が1回来て終わり…の施設になるのでは」ということです。
即座に私は「その計画を、KDDIならではの最新技術が使えるスタジオ&ホール・・・“発信者のための拠点”を作った方がいいですよ!」と答えました。
その後、富田も検討委員会に加えて頂き、以下のような考え方を提案。
◎通信企業にとって通信インフラ収入依存型からの脱皮が最重要課題
*2003年当時、通信企業はあくまでインフラ提供企業という考えが一般的でした
(今もそう思っている人も多いでしょう)◎そのためには、「技術レベル」より「文化レベル」の差別化が重要
*メディア化のメソッドの基本 機能でなくメッセージを商売の軸にすること
◎今後の通信企業のポイントは、情報の発信者をサポートすること
*当時は、「はてな」やライブドアがブログサービスを開始した頃で、
ソーシャルメディアや個人の映像発信の普及がすぐそこなんて誰も想いません。
「自分で発信したい人なんて特殊な人じゃない!?」と言われたものですが・・・
結果として、2005年 東京・原宿に「KDDIデザイニングスタジオ」が誕生。
<ショールーム>というより、小さなステージと、制作者育成のワークショップなどができるスペースを持った、まさに発信者のための拠点になりました。
ここで行われるコンテンツも、館がすべて企画するのでなく、発信者に利用してもらう形に。多くの人が“自分ごと”として関わることになり、口コミ効果や、みんなのPRによる他のメディア露出の機会にも繋がっています。
ツイッターもFacebookも、YoutubeやUSTREAMも普及してない当時、通信会社が発信者のための拠点をつくったのは画期的でした。