ホセ・ムヒカ元ウルグワイ大統領が来日し、 数年ぶりにまた彼の考え方がバズになりました。

「貧しさとはモノを持たぬことではなく、どれだけあっても欲しがり続ける心」

「モノを金で買っているようだが、実はその金を稼ぐのに費やした人生の時間で買っている」

「自分はモノを買い込むのが好きじゃない。自由じゃなくなるから。モノの支払いに追われて仕事をするなんて自由とはいえない」

本当にそのとおり! 僕がふだん考えることも(まことに僭越ですが)まったく同じだな〜と思いました。 そして、ムヒカさんがおっしゃることを僕なりに噛み砕くとこういうことになります。

「未来を確定しすぎるのはやめよう。」

 

未来を確定するために、今を犠牲にしすぎるのはナンセンス

ムヒカさんの話を「物欲」のことだと考えると、彼が語る「時間」の話は今ひとつピンと来ないでしょう。「物欲」「消費欲」も確かにちゃんとコントロールしなければならないものですが、もうひとつ我々が見直さねばならないのは「将来不安」なのではないでしょうか。

ひとは「今」にしか生きられません。 幸せも「今」にしかありません。

未来のために努力をするのは良いことだと思いますし、将来不安をできるだけ解消したいのはひとの大きな欲求でしょう。安心したいし、安定したい。 しかし、現代はそれが行き過ぎなのです。

 

・万が一の保険を何重にもかけたい

・一生困らないだけの資産を蓄財したい

・資産は預貯金、不動産、株式投資に分けてリスクを分散しておきたい

・除菌、殺菌、なんとか予防、何々ガード、何やら対策

・子どもが将来苦労しないように、いい学校に行かせ、いい会社に入れたい

・できれば大企業や役所に属して働いていたい

・賃貸住宅よりは持ち家、地震保険もかけて、さらには別の土地にももう1軒家を買いたい

・警備会社のセキュリティも万全にしておきたい

・et cetera、et cetera…

 

こうして、未来を確定するために、多くのひとが「今」を平気で犠牲にしているのが現代ではないでしょうか。特にモノは飽和している日本ではさほどの物欲が渦巻いているとも見えませんが、将来不安をなんとか拭いたいという欲望はかつてないほどに膨れ上がっています。

 

しかし、

「何の意外性もない旅」なんて面白いでしょうか。

「ワクワクしないゲーム」をし続けねばならないなんて、苦痛ではないですか。

すべて「計画通りの冒険」なんて、あり得ません。

 

自分のために自分の今を犠牲にしているのならまだいいでしょう。問題は、多くの人たちは自分でそのコントロールをできていないということです。

多くのひとは会社に属して働き、将来の「安定」を信じて自らの時間と能力を費やしています。しかし、今の企業経営者はますます株主の方を向かざるを得ず、多くの株主は単純に利潤追求が目的なので働くひとの費やした時間に報いようとは考えません。

ここに問題の根本があるように感じます。

 

では、どうしたらいいのか?

ではどうしたらいいのでしょうか?

私は、まずは自分ができることを一つひとつ自分の手に取り戻すことではないかと思うのです。

ごく単純なことです。「美味しい料理を作れるようになること」「いろんなものが修理できるようになること」「食べられるものと旬を知り、山で山菜を採り、海で貝を採れること」「楽器のひとつでも弾けて、みんなと好きな歌を歌えること」「たまには下手な絵を描いたり、何かを作ったりして飾って楽しむこと」・・・などでしょうか。

お金を払って誰かにやってもらうことを見直して、少しづつ自分で毎日の暮らしをコントロールできるようにしていくこと。

 

次に、自分ができることを誰かにしてあげて、その人ができることをしてもらう関係を少しづつ作っていくこと。わたしにとっては、専門領域を活かした関係が、雇用契約や経済の関係だけではなく信頼関係で築ければ理想です。

「農家や漁師など一次産業の方」「プロレベルのアーティスト」「ちょっとしたことなら気軽に相談にのってくれる専門家」「情報交換ができる仲間」などでしょうか。

提供するサービスをお金で買うだけではない、人とひとの関係を直接構築していくこと。

 

そして、お金だけに頼らずに生きる自信や楽しみを見つける自信を一人ひとりが取り戻していき、同時に「企業サービスに頼った未来の確定」を一つひとつ解除していくこと。

「何が起きるか分からない毎日」を「自分の力」と「家族や友人や仲間の力」を合わせて乗り越えることにワクワクしながら生きられるようになること

 

そんな風に生きられたら世の中誰も苦労しませんよ・・・といわれそうですが、思わないことは起こらないですから少し具体的にイメージしてみました。多くの人が具体的に想像すれば、それは現実になっていきます。そして時代は確実にその方向に向かっていっているのだろうと思います。そうでなければ、ホセ・ムヒカさんがいうことに賛同する人が、これほどたくさん出るはずがありません。

 

一方で、「未来をもっともっと確定し、世界から不安を無くし、それによって人類はもっと発展するべきだ」と考える人もいるし、時代の流れの中その面もかなり高度化していることは感じます。

ただ、私の趣味志向としてはそちらは好きじゃないし、その追求の先にはさらに息苦しい世界が待っていることに多くの人が気づいて、きっとその方向には行かないのではないかと私は未来予想していますが・・・

だいぶ長くなったので、その話はまた今度いつか。