クリエイティブ・ディレクター、メディア・プロデューサー、トミタプロデュースの富田剛史です。
生成AIの未来について、昨年2023年6月1日にトミタブログに書きました。久々に読むと、生成AI黎明期に感じたこと、まさに今この議論をすれば良いのにと思いますが・・・
そのブログからちょうど1年がたち、今月2024年5月には岸田首相がOECDで生成AIへの国際的ルール枠組みを…と打ち出したものの、OECDは当然「ビジネス利用による経済発展」が前提で、根本問題には踏み込まないまま。この間もAIのコンテンツ生成力は上がり、その価値が生む数字も膨らみ、残念ながらもはや歯止めをかけられない勢いです。
そんな中、ちょっと別の角度から、もう少しマシな未来が想像できたので、久々ブログを更新します。
すみだクリエイターズクラブ月例会での「著作権」の話題
昨日、僕が最近所属した地域サークル「すみだクリエイターズクラブ」の月例ミーティングで、たまたま著作権のことが話題にのぼりました。
僕は、2000年に新潟県でラジオ局を現場責任者としてゼロから立ち上げた経験がありまして、そのときに著作権のことを調べ学びつつ、タレント・実演者、JASRACやレコード会社、ニュース配信の通信社、気象協会や民間ウェザー会社、道路交通情報センターなどいろいろな相手と交渉~契約を交わし、またちょうどインターネット時代の入口だったため新たな契約形態を散々模索した経験があり、ネット時代のメディアと著作権に対して根本認識があります。
著作権については、時々セミナーでもお話していますので、今回は詳しくは書きません。ご興味と機会があればぜひまた。
昨日のミーティングでは、「著作人格権」と「著作財産権」について、基本的な意味、すべき認識の方向…などが様々なクリエイターが参加する場で情報としてシェアされ、その大切さを確認した上で、今後「発注する側と一緒に著作権の勉強会をして、あらためて認識を共有していこう」という話になり、とても有意義な結論でした。
ものづくり企業が多い墨田の地で、クリエイターと発注者と行政との間に良い形に、良い形ができれば嬉しいなと思いました。
さて、それはそれとして、さらに僕が思ったことを、備忘録として書き留めておきます。
「著作権フリー」とは何か…考えたことありますか?
キーワードは「著作権フリー素材」
昨今の「著作権フリー素材」が世に溢れている状況をあらためて考えてみてください。
あなたは利用しますか?
僕はもちろん、しょっちゅうお世話になります。いまやコンテンツを作る人にとって、無くてはならない存在…それが「著作権フリー素材」です。否定しようなんてとんでもない、運営者さんにも素材提供のクリエイターさんにも、感謝感謝の大感謝です。
ただ、多くの人はあまり考えずに「著作権フリー素材」を利用しますよね。少し考えてみましょう。
そもそも「著作権フリー」とは何か? 「え?タダで使える、無料素材ってことじゃないの?」と思った方、ブブー!不正解です。
著作権フリーのフリーは無料ではなく、「自由に使ってもらえますよ」のフリーです。無料で提供するかどうかは別問題。「自由に使っていいけど、いくら払ってね」というフリー素材もたくさんありますし、月額いくらのサブスクで運営している著作権フリーサイトもたくさんあります。
何もかも自由ではなくて、何が自由(フリー)なのかは「利用規約」に必ず書いてありますので、使用者はまずきちんと読まないと、あとで大変なことになる可能性があります。
「利用規約」を読まずに使うと大変なことになるかも…
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの広がり
有料の場合は、利用規約を読む以前に、写真やイラストや音楽や物語などがそもそもダウンロードやコピーができない状況になっているので、考えない人でもフルイにかけられます。「ああ、タダじゃないんだ~」で立ち去りますよね?(いえ、あなただけでなく、多くの場合は僕もそうです)
問題は、「無料だけど、利用規約に禁止条項がある」というときで、「商用NG」とか「氏名表示して」とか「改ざんはNG」とか、いろいろと決まり事が書いてあります。基本的にその利用規約(=契約書)にOKした上でダウンロードやコピーをするわけで、ろくに読まずに適当に使うと、もし問題になった場合にとんでもない請求や厳罰になっても文句言えません。いやホントによくよく読んで使うようにしてください。
ちなみに、そういうライセンスのことは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCと略す)といいます。従来の(C)はAll rights reserved:つまり全権利保持ですが、(CC)の場合は一部の権利保持を主張する印で、ネット時代にその概念が発展してきて未だ普及途上ですが、著作権のうち「作者名表示」だけは条件とか「非営利のみ許可」とかをアイコンにして示す動きが広がっています。
この(CC)の考え方を理解することが、今後の著作権、クリエイター、著作物利用者との間に非常に重要さを増しています。
「著作権フリー素材」がこれほど増えた背景が分かれば、未来が少し見えてくる
ところで、どうしてこれほど「著作権フリー素材」が増えたのでしょうか? しかも、無料で、商用にも制限なく、どんどん使ってくださいというものが非常に多い。
ひとつは、世の中のコンテンツ制作ニーズが、人間の有史以来ないほど高まっているからです。
ブログを書けば、ちょっとした写真やイラストを使いたいし、アイキャッチ画像も作りたい。動画を撮れば、BGMも入れたいし、効果音だって必要だ・・・ 皆さん、そうですよね?
2つめは、コンテンツ素材を作るのが極めて簡単になり、その発表をしたいクリエイターが強烈に増えたからです。
写真、イラスト、音楽・・・・どれにしても、アナログ時代とは比較にならないほど簡単にできるようになりました。しかも、機械が補正してくれたり、いくつかのパターンを示してくれてそこから選べば出来上がり~といったものがかなり便利になって、そういう便利さを使わないクリエイターの方が少ないくらいでしょう。
3つめは、その「素材」がデジタルになったことで、インターネットで流通するからです。
クリエイターやアーティストなどは、そもそも交渉や事務仕事などは苦手な人が多いので、面倒なことが減って、作品が流通する機会が激増するのはウェルカム。自分で仕組みを作れる人は自分の店を自由に作り、さらにビジネスを組み立てるのが上手な人が儲かる仕組みを作って、それは拍車をかけて増えていくわけです。
クリエイターが無料で作品を提供するのは、基本的にはマーケティングで言う「フロント商品」で、無料素材によって作家である自分の存在を知ってもらうことが初期目的でしょう。そして、ものを作る人には「報酬の三分節」で言う「評価益」「満足益」の利益が大きいので、「経済益」が得られなくても自分の作品がたくさん使ってもらえているということ自体がモチベーションになりやすい傾向があります。特に、別に「食い扶持」があってやれる人にそのような人が非常に増えているのが現代です。
一方、クリエイティブや作品を食い扶持としている昔ながらのクリエイターや作家は「著作権フリー素材提供」には行かず、その影響が自分たちの足元に迫っているとどこか感じつつ、目をつぶっているのが現状でしょう。
いざ、未来へ。
「昔は人が音楽とか作ってたんだよね~、凄いな昔の人って」
…もはや、クリエイティブに未来は無いこと確定か?
さて、ここでもう少し未来を見に行きましょう。
容易に想像できるのは、「生成AIが作るそれなりに質の良いコンテンツが、著作権フリー素材として使い放題」というサービスが世を席巻していることです。もう既に近いものがあるかもしれませんが…
そうなったら、「人が生み出した著作権フリー素材」の多くは駆逐されるのではないでしょうか。
もちろん、人間が生み出したものとは微妙な違いは残るでしょう。しかし、利用する側がそれを理解するか?求めるか?と考えると・・・ビジネス側は求めないでしょうね~。
「クオリティの微妙な差」よりも、「何でも使える」「何しても文句言わない」「しかも極めて安い(または無料)」ならば、経済合理性から言って確実にそちらを選ぶのがビジネスというものです。
そもそも、「ビジネスのために必要なクリエイティブ」が、ネットの記事やチラシがパッと人の目を惹く役目や、映像やお店のBGMがなんとなく雰囲気を良くする役目…という程度の認識であれば、それはもう生成AIが作る「作品」に適うはずがありません。
そして、実際にほとんどの利用側の認識がそうですから、もはやクリエイティブに未来は無いこと確定でしょう・・・
でも本当にそうでしょうか? それで良いのでしょうか?
「著作物」つまり作品を生み出すことは、人を動物と隔てている大きな喜びの根源です。実際には作品を生むことに興味のない人も多いし、「ビジネス」では経済合理性が大原則なので、人が作品を生み出すことの経済合理性がなければ、その行為は淘汰され「昔の人類はそんなことを人がしていたんだよね~」という未来が待っていますが・・・、トミタはそうでもないのではないかと思うのです。
もう少しマシな未来へ。
まず、著作物と関係ないようですが、「人は地域(ローカル)に生まれ、地域に生き、死んでいく」という事実。これを抑えましょう。AIにはそれはありません。
第二に、『人が生み出す著作物には作品の良し悪しだけでなく「その人」という唯一無二の特徴があり、それは<地域を豊かにする価値の根源>でもある』という仮説。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、要するに作品よりも作品を生んだ人の方にフォーカスを当てる考え方です。
第三は、『ビジネスはいかに利潤を上げ、かつ長年継続していくかを競うゲームである。ゴーイング・コンサーンこそがビジネスの本質的な目的』という事実・・・というか、ビジネスオーナーの価値観への期待です。
短期利潤の最大化を求めて動き回る投資マネーには、この考え方は当てはまらないことでしょう。ですので、利潤以上に継続に重きをおくサスティナブルな経営が、今後もっと大きな支持を得ていくなら…というSDGs時代に期待を込めた仮説でもあります。
詳細はLIB Labに譲りますが、そのように行動原理が働く企業とは、ローカルに求める意味が強い「ローカルインディビジネス」でしょう。
ともかく、「ゴーイング・コンサーン」つまり経営の継続がビジネスの目的だとするなら、そしてそのビジネスの継続にとって「役立つ価値」があるならば、「人が生み出す作品素材には作品とは別に価値がある」という図式が成り立つのではないかと思うのです。
要するに、特に地域性の強いビジネスにとっては、「作品を生み出す人の方に価値がある」ということです。
夢のプランを考えてみる
ひとつのドリームプランとしては、
- 地域を愛するクリエイターが、「地域のために使うのであれば著作権フリー」という(CC)で作品を制作~発表~プール~利用できるようにする
- その「CC作品」を、地域の企業や行政が、その意味をわかったうえで積極的に利用する
- 幕下力士から応援するタニマチと同じで、地域企業や商店街や行政などが、地域を愛する作家の作品を、その人の作品だと掲げ、その作家の良さや応援姿勢と共に使っていく
- やがて、レベル1.地域で有名になる 2.他地域でも知られた作家になる 3.全国で知られる作家になる 4.世界的作家になる
このような動きが、写真、イラスト・漫画、音楽、コピー、物語り、その他あらゆるジャンルのクリエイティブで起きれば、その地域にはさらに多くのクリエイターが集い、レベル0でもみんなが応援し、レベル1や2なら地域でちょっと自慢でき、レベル3や4になれば最初から応援していた企業や行政に大いに経済益も評価益も集まるわけです。
このサイクルが、どこかの地域で成立するなら、生成AI時代のひとつのモデルになるのではないでしょうか。ポイントは、「価値とは何か」「仕事とは何か」「報酬とは何か」「幸福とは何か」とを天秤にかけながら、人間(自然人)も法人(=ビジネス=非自然人)も、グローバルもローカルも、経済も社会も環境も、ゴーイング・コンサーンしていく仕組みを同時に考えること。それには「マネー」だけでない価値の交換方法が必要で、それを「アセット」とした仕組みにすること。それこそが「新しい資本主義」でしょう。
もっと具体的にすべきことがいろいろあります。一緒にやらせてもらえたら嬉しいです。
どこの地域の方でもお手伝いしに参りますので、ご興味をお持ちになりましたらご連絡ください。