アサコレ初日は上々の出来だった。

 

オープニングを飾ってくれたボードビリアンのバロン君のステージは

お客さんがほとんど集まってない中でのスタートで申し訳無かったが、

それでもやっているうちに徐々に客が増えていき、

歌にタップにジャグリング・・・巧みな芸にどんどん笑顔になって行く。

 

 

 

 

 

 

都築響一さんのトークショーも同じで、

やっているうちにどんどん人が増えて行った。

浅草ならではの写真と風俗が次々紹介されると大盛り上がり。

最初10列ほどだった席が徐々に後方に伸びて行き、

最終的には20列以上になっていた。

 

こういうオープンスペースでフリーでやっているショーは、

面白くないとちょっと見てすーっと帰るものだが、

そこはさすがアサコレ・セレクションの演者だけあって、

大道芸よろしくお客の気持ちを捕まえて客が客を呼んで行く。

 

様々なアーティストによる展示もムチャクチャに個性的で面白い。

こんなムチャクチャなキュレーションはなかなかできるもんじゃない。

もちろんいい意味でね。

 

 

 

最近、アート系の作家が集まって催すイベントは非常に増えた。

ちょっと前なら、いろんなモノを作ってる人がずらっと揃うだけで、

なんだかワクワクしたし、それがまちのいい感じの風景や賑わいにも繋がって、

(僕もやってるけど)まちづくり系のイベントとして盛んに企画された。

 

でも、個人的には最近少々違和感を感じることもあって、

それはアートやデザインが、おしゃれで素敵なものになりそうになってること・・・。

 

いや、おしゃれで素敵であって何が悪い!?ってことだけど、

まぁそういう路線の作家も居てもいいけど、そういう方向ばっかりになったら

そりゃもうアートやデザインの意味無し!ってひねくれたことを思うのが、

そもそもアートやデザインの本質なんじゃなかろうか。

 

その意味で、今回のアサコレに集った人たちの極めてユニークな変さ加減、

しかも一つの方向ではなくば〜らばらな感じは、実にオモシロイなぁと思うのだ。

 

しかし、このそれぞれ強烈に個性的でわがままな人たちが、極めて真剣に、

極めてボランタリーに、ひとつの空間と時間をシェアしているのは

ちょっと奇跡的なことではある。

その奇跡を成し得たのはなぜか?

それは飲み屋繋がりで集まったコミュニティだってこと。

そしてそれぞれお気に入りの飲み屋のある、浅草という街繋がりだからこそだ。

 

 

 

浅草は、浅草寺だ雷門だ三社だ・・・と伝統イメージが強いが、

実はありとあらゆる種類の人たちが日常的に居て、

飲み屋に集って、ときたま(といっても割としょっちゅう)お祭的非日常がある、

言わば、New Yorkみたいな街なのだ。

日本一のメルティングポット、それがアサクサなのだ。

 

だけど、今そのアサクサは危機に瀕している。

何を勘違いしたか「京都化」しようと無謀な策を練る輩がいたり、

7年後のオリンピックで大注目の街・・・なんてこともあって、

うっかりしていると、どこかの誰かがキレイでおしゃれな街に

あっという間にしちまうかもしれないのだ。

 

そしてそれは、アサクサばかりの話しじゃない。

日本中のまちが、みんな同じようなオシャレさを安易に求めていないか?

デザインに関わる人、建築に関わる人、お店をしようという人、

まちづくりの中心になっている人・・・

 

今回のアサコレ、そういう意味で、

意外と今とても大事な主張をしているんじゃないか。

明日は午後2時から、アサコレのクライマックス、ファッションショーです。

浅草・隅田公園リバーサイドギャラリーで。

 

僕は、この時間と空間を後に残すために、カメラ回してます。

 

アサコレ2013公式サイト