前回、五輪組織委員会の森会長後任に川淵三郎さんが内定?のタイミングでトミタブログを書きましたが、その後急転して川淵氏は辞退となり、結局は橋本聖子さんが就任することになったようですね。
厳戒態勢でマスコミ排除して、何のひねりもない結論。「透明性のある決め方」とはなんだったのか?
実に「日本的特徴」がにじみ出ているなぁと思ったので、ブログに書いておきます。
「透明性のある決め方」とは、”政府にとっての” 透明性
普通に考えると、「透明性のある決め方」とは、選考の基準の議論もオープンにし、候補者の推薦も誰がどんな理由であげているのかも明らかにして、誰がどんな議論や投票などを経て決めたかを、事後報告ではなくリアルタイムに共有していくというイメージでしょう。
今回の会長辞任の経緯および川淵さんの件での失敗を踏まえて「透明性のある決め方」というなら、一般常識的にはそのように思うはずです。
しかし実際には会合の場所さえ秘密裏に当然のように密室で決まりました。「透明性」とは何だったのか?
それはたぶん「政府にとって」の透明性、もっと言えば「菅総理にとって」の透明性だったのではないでしょうか。
「ナニソレ?オレ聴いてないんだけど…」に青くなった経験ありませんか?
恐らく、川淵さんの件は菅総理の耳に後から入ったのではないか・・・。それを聴いて「え?オレ聴いてないよ。誰がそれで良いって言ったの?」とかなんとか、総理はつぶやいたのではないでしょうか。
そして、みんな「シマッタ!根回しの順番が違った!!」と青くなったのではないか? そこで慌てて加藤官房長官やら橋本大臣やらが「決まってない」と言い出した・・・といったところではなかろうかと。
まぁ事実は分かりません。
それはともかく、この「え?ナニソレ?オレ聴いてないんだけど…」って殺し文句、日本の組織で仕事をしたことがある人なら誰もが何度も接しているのではないでしょうか。
話を耳に入れる順番が極めて大事なんですよね、面倒なことに。
「稟議(りんぎ)」の順番は絶対に守らねばならない、みたいな・・・。
「わきまえている」とは、上席の面子(メンツ)を立てること
そして、森発言で脚光を浴びたキーワード「わきまえている」ですが、あれはどういうことかというと、この順番を分かっているということでしょう。
会議だろうが宴席だろうが順番が決まっていて、上席がイエスといったことにはノーとは言わないルール。
逆に言うと、上席はイエスというのは責任を伴うので、下の者は順番に根回ししきった上で上席に意見書を上げるというルールです。
もしも万が一、どうしても「自分の意見」を表明する必要があるときには、昔の故事になぞらえたり、もっと権威のある誰かが何かのときにこんなことを言っていた・・・などと、自分が考えたことではないことにして伝えるテクニックを駆使すべし!谷崎潤一郎が昭和9年に出した「文章読本」に、わざわざ強調して書いてありました。最も大事なのは面子(メンツ)なのですね。やれやれ〜。
つまり、会議の場で上席が認めたことに改めて自分の意見を言うことは、「わきまえてない行動」なわけです。僕はずーっとわきまえないまま大人になりましたが、まあ普通は自分も面倒なのでその生き方は選択しないのでしょう。
このわきまえシステムの筋がビシッ通っている決め方のことを「透明性のある決め方」とおっしゃっているのではないか思われます。
しかし、昨今のオンラインライブのブレイクと、世界の個人の大交流時代が始まりそうないま、そのシステムは通用するのか心配にもなりますが、おそらく若者はしなやかな対応力で新時代の日本的「和」の作り方を進化させるのでしょう。だって、日本国内の組織では相変わらずこの「習慣」…なかなか変わるはずがありませんから。
この先、世界とも国内でもうまくやっていける人間としては、思考のバイリンガルが必要になりそうです。