トミタブログ

環境教育とESDについて考えたこと

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今週末に、長崎のエコネットフォーラムと福岡のサイクルフォーラムの本番が連チャンでやってきて、しかも相変わらず準備がギリギリになっているので気が狂わんほどやる事があるんですが、急性腸炎にも襲われ(もうだいたい治ったので大丈夫よ〜)、少々逃避モードもあって、ブログ書いたりしてみます。

先週日曜日に熊本で、いつもお世話になってる環境省関連の会議がありました。
「ESDワークショップ事業の実行委員会」

九州各県の学校現場に、各地でがんばってる環境関連NPOの皆さんが入っていき、学校と一緒になってESDの実践教育を子どもたちにしようという活動で、今回は昨年の実施内容の報告と来年度に向けての会議ということ。


 

そりゃもう現場の皆さんは大変がんばっているなと思いましたよ。

それはもちろん大前提なんですが、ただ全体にどうも違和感がありました。

それはESDの捉え方。
環境省のプロジェクトだから、どうもESD=環境教育というイメージが強すぎです。 だけど、そんな話しもみんな分かっているので置いておきましょう。

僕がより思ったのは「環境」って自然環境だけなのか??ってことなのです。

 

環境って言うと、ナントカ湿地や里山やホタルの舞う小川の話しをしないとみんなイケナイような気分になるけど、そりゃそういうところに住んでる人の環境であって、東京の下町に住んでる人には感覚的にはオリンピックと変わらないくらいの距離感の話しなんだよね。
じゃぁ彼らに何が環境かと言うと、どこにチェーン店のカフェができたとか、それによって昔ながらのあの喫茶店が絶滅危惧されるとか、子どもたちをしかりとばしてた小ウルサイじじいがいつの間にかいなくなったとか、そんな事なんじゃないかと思うのです。

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僕が何かのたとえ話で言ってると思いますか?
そうではありません。
ナントカ湿地と近所の喫茶店とはここでは同じレベルの話しなのです。

大自然と東京の下町は極端な比較ですが、では地方の都市の環境ではどう? 人が暮らすのは大小はともかくほとんどが街。大自然で過ごす時間の方が長い人はそう多くないでしょう。

確かに、地方では大自然まで距離が近い。そういう距離感にいるからこそ、なおさら勘違いしやすいのではないかと思います。 環境=大自然。で、自分の身の回りの「都市環境」を「環境問題」と切り離して考えてしまいがちなのです。

都市環境というとリサイクル・リユース・・・そういう話しに集中します。もちろんそれも有り。
でも「自然を守る」的なことだけでない、<環境の快適さを守る>ことにもっとみんなが思いを馳せ、知恵をめぐらし、考えて行かねばと、そう思ったのです。

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うまく伝わらないかもね。

要するに、優秀かつポジティブで義侠心にも溢れるタイプの皆さんが、里山もいいですけど半分くらいは『最高の街を考えるプロジェクト』を推進したらどうかしら…ということ。

<自然を守る>から考えずに、<都会を守る>から発想して真剣に考えてみる。

だってその方が多くの人にとって重要な環境でしょ?

エコ・ファーストな人たちはその根本的な考え方やノウハウは揺るがないから、逆にその考えでもっと「街」を発展させること、継続させることを考えれば、きっと素晴らしい街ができるのではないかと。つまり環境NPOには各自治体の域内経済が上がる企画を真剣に考えてもらう。

一方で、大自然を守るプロジェクトにはエコノミー・ファーストな人の発想とノウハウを入れた方が良い部分も多々あります。

発想の転換と異物の取込みこそが、持続可能な発展のキーなのではないでしょうか・・・

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こんなこと言ってると、一生懸命ESDしてる人に怒られそうです。
皆さんの活動の批判でも否定でもありませんので、どうぞ気を悪くされずに。

ESD世界大会に向けて、何か新しいプロジェクトでも始動できると良いですね。

ウルサイけど僕も入れてね^。^

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