先月末に、JICA北海道さんのご依頼で、青山学院Global-CEPプロジェクトとして、青山学院大学経済学部教授でヒューマンイノベーションコンサルティング株式会社社長の玉木先生と共に北海道へ視察調査に行きました。
いろいろな団体、個人とお会いして新たな知見を得た充実した二日間でしたが、中でも北海道第2の都市旭川市の近くにある小さな街「東川町」の取組みは極めて面白い事例だったので、少し情報をシェアし、備忘も含めて所感を書きとめておきます。

 

「写真文化都市」を宣言した小さな町<東川町>

いまこの人口8000人の小さな町は、地方創生の大いなる成功モデルとして各地から注目を浴びています。

  • 町の主要産業は農業。それもほとんどの生産を締めるのは米。
  • 第2次産業では1点ものの木製手作り家具がメイン。もちろん生産量は知れています。
  • そして第3次産業の中心はカフェなどのおしゃれ飲食店。

「素敵ね〜」というのは一般には女性で、男性発想のごく普通のコンサルタントなら極めて労働集約的な仕事を中心に経済が回っているこの町の産業構造を見れば、「これじゃダメですよ」と烙印を押しそうです。やれ6次産業化だ、工場誘致だ、グローバル市場に打って出ろ!と。

しかし、この東川町、バブル崩壊後の1993年にいったん7000人を切るまで人口が減った後94年からじわりと反転して、その後20年以上かけてじわじわと人口をなんと15%も増やしているのです。今では8000人をオーバーし、「これ以上増えなくていいのでは?」と住民も役所もこの規模感をキープすることを意識しているという極めて特殊な自治体です。

 

img_2200そのきっかけは、「地方創生」などというはるか昔、1985年以来ずっと東川町が取り組んできた「写真の町」という一種のイベントにあります。

「文化を軸にしたまちづくりをしよう」という発想だったのは間違い無いにしても、何しろ85年ですからバブル以前・・・当時の空気感は今とはまったく違います。提案したのも札幌のある企画会社(今は倒産したということ)なので、おそらくその企画はたまたま東川町に持って来られたもので、それが別の自治体でもどこでも良かったのではないでしょうか。メセナとかフィランソロピーとかいって文化にお金を使うことが流行った頃です。

東川町はその提案を受入れ、翌年には「写真の町宣言」と町の憲章としていきますが、これとてよくある話でもあったことでしょう。

 

宮沢賢治もびっくりの逆転発想が、見たこともないオシャレな田舎町を作った

ところで「写真の町 東川町」と言われたときに、どんな町を想像しますか?

僕は、一流の写真家との交流や教育を充実させて、この小さな町から多数の一流の写真家を輩出すべく取り組んでいるのかと最初に思いました。ふつうそう思いませんか?img_2218

ところがこの東川の写真の町宣言のユニークなところは、「日本一写真うつりのいい町になる」という宣言なのです。良き写真を撮る人の集積地ではなく良き被写体の集積地!すごい逆転発想。まるで「注文の多い料理店」です。

80年代から当初は大人の写真家の作品を評した国際コンテストが行われていたそうですが、さらに流れを変えたのは94年に始まった「写真甲子園」。全国の高校の写真部や写真サークルを対象にしたイベントです。高校生たちは3人の選手と1人の監督でチームを作り、かなりガチガチのルールの中で写真のできを競い合うということ。まるでスポーツです。
各県で予選大会を勝ち抜いた各校のチームが、毎年夏の北海道東川町に集まります。まさに写真部の青春をかけた選手権大会! その舞台がこの小さな町「東川町」なのです。

被写体日本一を目指す町は、街並みはもちろん、住民も長年の「写真の町」のイベントによって撮られ慣れており、お店の店員さんも洗濯物を干すお母さんも、全国の高校生たちがカメラを持って集まる一週間はいつもより化粧を念入りにするらしい。いつ撮られてもいい覚悟ができています。

しかも、宿泊施設も限られるこの小さな町では、一般家庭へのホームステイで各校の高校生を受入れて応援するので、それはもう町全他がワールドカップ並みに盛上るイベントへと成長していき、高校生とはいえ優れた若い感性で切り取られた町の風景はさらなるファンを獲得するのに役にたち、それがまた町民を美しい町、美しい町民にあらせる方向にバイアスをかけていく・・・奇跡的な好循環です。

higashikawa-styleこの町の奇跡について書いていると、ものすごく長くなるので、詳しいことを知りたい人はこちらの本をご一読ください。

なぜこの小さな町が、東京の代官山か南青山か・・・というようなオシャレ感に溢れていくのかがよくわかります。

慶応大学の先生がした調査をもとに、まちづくりに詳しい若いライターが熱を込めて書いた力作で、この本自体がこの類いの地方創生本にはなかなかないオシャレ感でいっぱいです。よほど感動したのでしょうね〜。

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一方で、あまりに美しすぎるのが僕には少し気になって、こういうのはもちろん嫌ではないし、付け焼き刃のオシャレ感とはまったく違って食にしても家具にしてもライフスタイルにしても本当に素晴らしいものなのですが、僕にはもう少し横丁感というか、何か猥雑なところがないとくたびれそうだな〜とも正直思ったりもしたわけです。笑
(役場職員によれば、そういうニーズは隣町の旭川が吸収してくれるのだとか。なるほど…)

 

町のコンセプトとして価値観を明快に示し、ある種の志向の住民が増えていくこと

ここで富田が注目したのは、地方での「コンセプトタウン」の可能性です。

「文化」を軸にしたまちづくりとはつまり、価値観を明快に示してそれを好む人が集まっていくということ。価値観とは、分かりやすくいうと「好き嫌いや善悪のその人の基準」のことです。ある一定のエリアや集団で「好き嫌い」の基準が似たような形で集積したものが「文化」であると、私は思っています。

日本文化、イタリア文化・・・などもそうですし、企業文化や学校の校風なども同じことです。

富田が「メディア化論」で使う「メッセージ」という言葉も、つまりは価値観のこと。メッセージとは好き嫌いをハッキリさすことだと言えるでしょう。

コンテンツ制作においてメッセージがないのでは迫力あるコンテンツにはなりません。単にファンクションの網羅だけでは消費されて終わるのがオチだ・・・というのがいつもしている話。

 

さて、話を戻して「コンセプトタウン」です。これは言ってみれば「自治体のコンテンツ化」なのではないでしょうか? まさに「メディア化」です。

普段、メディア化しなければ後がない…と各地でいう割に、目の前に見事な形で現れたコンセプトタウン「東川町」を見て回り、「うーん…」と唸っている自分に何ともいえない落ち着かなさがあり、それは何なのかをずっと考えています。

果たして、役所が町の価値観を定め、30年の年月とはいえ極めて短い時間にこれだけある種の価値観にバイアスのかかるコンセプトタウンができることは良いことなのか・・・。そんな問いなのでしょう。

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地方の小さな自治体は、「暮らし方の価値観」を打ち出す意味がある

こういう、ある種の価値観の人が集積している自治体の姿を思い浮かべてみると、例えば京都や浅草といった歴史のある町には、その歴史を背景にした価値観の集積はよく感じることがあります。これは地方でも、気質というか県民性というか、そういうことはありますし、極めて狭いエリアであまり人が動かずに歴史を重ねてきた所では、デザインや生産される産品にそのエリア独特の価値観が集積していることはよくありますよね。沖縄などは典型でしょう。

一方で、東京の各町には「コンセプトタウン」がたくさん見られます。

秋葉原のような産業クラスターの集積地ばかりではなく、下北沢や高円寺、吉祥寺、自由ヶ丘、代官山、青山、下町エリアの門前仲町や森下など、<暮らし方><好み>というまさに文化志向の価値観が合う人たちが集積し、ゆえにそういう店が増え、その価値観の客が増え、さらに同価値観の人の流入を増やしていくという例です。

 

ここで僕は、ハタとあることに気づかされました。

江戸時代までは、地域での「価値観の集積」は極めて長い時間をかけて作られていったはずです。

しかし、明治以降は、主に都市部においてはそうではなくなった。それは流入流出が自由になったからです。人々は都市においては、自分の好みの町を選んで住むことができた。これによって、町が急速に価値観を集積してコンセプトタウン化していくのです。

一方で、地方ではなかなかそのことは起きにくい。なぜなら住民の出入りが激しくないからです。

 

そんな中で、戦後の行政政策では役人は価値観を振り回さぬことをより求められるようになっていきまimg_2210す。個性的な役人はダメの烙印をおされ、よりファンクショナルに対応をしていくことになる。

教育もサービスも、他の町と違っていてはダメ。すべての人に受入れられる価値とは「利便性」であり、その方向ばかりに各自治体が努力をした結果、日本中がほとんど違いのない町になってしまった、というのが現代の状況ではないでしょうか。

しかし、同じような町になれば、より利便性の高いところに人が移るのは当然です。
また「個性」という点でも、先述したとおり価値観集積と流入出によって都市では自分好みのコンセプトタウンがたくさんできているならば、利便性で行動をしないタイプもまた都市に流れるのは必然です。

 

その状況を打開しようとしたら、やはり自治体がハッキリと「好み」を打ち出して、歴史的な文化蓄積とは別のレベルで、<◎◎町文化>の種を撒き、育て、情報発信することは必要なのではないか。

その「価値観」に反応する、外からの旅人を迎え、新たな住民を迎え、逆にそれがあまり好きではない人を遠ざけて、流出入を増やして意図的に「価値観の集積」を図っていくこと、これはより小さな地方自治体の取るべき戦略としてハッキリと意識すべきことなのではないか・・・それが私が数日考えた結論です。

 

鉄道ファンが集まる町を目指す自治体があってもいいじゃないか

僕は何も、日本中の小さな町が、東川町のようなおしゃれな田舎町になってほしいのではありません。横丁の集積地のような町もないと、困る人たちはたくさんいるでしょう。
(あ〜それ北九州か!? いえ、失礼しました。北九のみなさん・・・笑)

さて先日、NHKで新潟市の秋葉区(旧新津市)が取り上げられていました。

どこにでもあるアーケードの「中央商店街」が、鉄道好きにターゲットを完全に絞りファンを集めているということ。
さほど驚きはしませんが、やっぱりその流れなのだなと改めて思いました。

新津は、いまでは鉄道資料館となった鉄道車両基地が古くからあり、蒸気機関車が今も通うなど鉄道ファンをずっと集めていたのは確かですが、商店街が一時的なキャンペーンではなく完全に鉄道ファンシフトするとは・・・これも東川町とは違うコンセプトタウンへの舵を大きく切ったとも言えるのではないでしょうか。

商店街名も今年思い切って「0番線商店街」に変えてしまったとか。

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ターゲットを明確にして絞り込むこと、

利便性ではなく価値観で同好の士を集めさらにコンセプトを集積していくこと

実態は確実に動いていることを確認する事例でした。

大きな自治体にはなかなか難しい「文化」のまちづくり

一方で、先日オープンしたばかりの、私の地元墨田区に鳴り物入りでオープンした「すみだ北斎美術館」に行ってきました。
素晴らしい点はもちろんたくさんありますし、本館が誕生するのに苦労をされた方の努力には大いに敬意を払いますが、正直をいえばやや物足りない思いがしました。

img_2228北斎といえば、世界で評価されている日本史上最高のアーティストの一人です。
その北斎がまさに生まれ育ち、ずっと描いてきた町にようやくできた北斎の名を冠した美術館。

バルセロナのピカソ美術館、ミロ美術館、ダリ美術館など行ってみれば、その偉大な作家たちへのリスペクトがよく分かります。彼らに大いに勝るとも劣らぬ北斎の美術館が、世界都市トーキョーにできるのであれば、もう少し大々的であったも良いのでは・・・というのが私の感想でした。
墨田区には、美術館に税金使うならもっと福祉に…という声が多く、区長選の争点でもあったので、勝利した推進派もそれほど思い切った施設にできなかったのでしょう。

大きな自治体はおそらくどこもこんな感じです。

利便性はどんな価値観の人にも受入れられるので、地方創生においてもまずその方向を目指そうとするものですが、文化の本質はそれとは別のところにあり、それが政策的に可能なのは小さなエリアでの施策なのだということが分かります。

文化で勝負をするのに有利なのは、より小さな自治体のほうなのです。

ただしこれを、人真似ではなく各地で起こすのは相当にたいへんなことでしょうが。