メディアプロデューサーでメディア化支援コンサルタント トミタプロデュース株式会社の富田剛史です。
毎週水曜日の朝9時から、近藤洋子さんのライブWEBメディア「Good Morning Mirai」に登場して、洋子さんと共に「未来のかけら」を探す30分をお届けしていますが、今朝の番組でも【未来の気づき】があったので、忘れぬように書いておきます。
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消費者や生産者という言葉がなくなればいい
今朝のゲストは、広島県の神石高原と三角島という極小集落で、新しい発想で日本酒作りに取り組む若き蔵主 三宅紘一郎さん。いろんな角度で新時代を感じる時間でした。
会話の中でとても共感したのは、三宅さんが「消費者や生産者という言葉がなくなればいいと思っている」というくだり。それに対して僕が「まさにその言葉が無くなったときがSDGsが達成された世界では」と続けています。
「消費者」とは「消費する人」という意味ですが、<何>を…かというとこれまでは<モノ>を…でした。<モノ>をたくさん生産し<消費者>にたくさん消費させることが経済活動だと思ってきたわけです。
それが、SDGsの潮流と同時期に、来るべくしてきた世界的な新型感染症のパンデミックによって、多くの人が別の方向への転換を真剣に考えるようになっています。
しかし、「消費者」「生産者」という言葉が無くなるとしたらいったいどうなるのでしょうか?
新時代の経営者は、モノを消費させる発想から、時間を使ってもらうことを目指すようになる
『SDGs=新時代』には、モノを消費させる発想から、どうなるのでしょうか?
私は、その答えは、
「モノ」を「消費させる」を改めて、
「時間」を「使ってもらう」に変化する
だと考えます。
「あぁ、モノ消費からコト消費ですね!」と思った方、いいえ!全然違います。
それは両方とも「消費」、つまり「お金を費やさせて価値を消し込みする」発想です。そして無くなった価値を埋めるためにじゃんじゃん生産し、またどんどん消し込ませる・・・。モノと同じ発想の旧来通りの経済活動。
だけど、僕がいいたいのはそういうことではありません。
お金やモノは蓄積でき、誰かに富が集中しやすいですが、【時間】はそうは行きません。金持ちも貧乏人も、男も女も、偉い人もそうでない人も、みんな一日は24時間。格差は生まれようがありません。
24時間を何にどう使うかを、誰もが一日一日意識して、「今日はとてもいい時間の使い方ができたなぁ」ということに、もっと一喜一憂しながら過ごすようになる。そのことで豊かな気持ちになることを目指すのです。
「お金」で、「モノ」を買って
消費して幸せを感じる
…から、
「時間」を使って、
「いい時間」を得て幸せを感じる
へと多くの人の発想が変わっていくのが、
SDGsな未来イメージ。
そんなの、非現実的な理想論・・・と思いますか?
確かに、今すぐは、旧時代に生きてきた我々が作っている社会なので、そうそう発想も変わりませんし、そのような価値が流通するにはインフラも人材もビジネスモデルも何もかも、「生産」「流通」「広告」「消費」「廃棄」の流れなので、簡単ではないのは分かっています。
でも、今日の三宅さんの話を聴いても、若い経営者はどんどん変わっているし、そんな時代の中で育つ今の子どもたちが大人になる頃には、きっと価値観がひっくり返っているでしょう。それをだいぶ先と考えるか、すぐ来る未来と考えるか。そこに向けて準備をいま始めるか、先に伸ばすか・・・。
使えば使うほど、豊かになるもの。
なのに、みんなが同じだけしか持てないもの。
「時間」はお金のように消費するものであると同時に、「商品」のように幸せをもたらす財産でもあります。つまり、「使う」と同時に「得られる」のが【時間】の特徴で、その『手段と目的の両面性』が面白いところです。
わかりますか? 時間を使うのは、何かを成し遂げるための手段であるけれど、そうして過ごした時間自体が自分に得られた最高の果実であることってよくありますよね。愛情や愛着は、その対象に使った時間の分だけたくさん自分に蓄積されるということ。「星の王子さま」の記事にも書きました。
また、時間の『手段と目的の両面性』は、「提供側」と「受ける側」との関係においても面白い効果をあげます。
「お金」の場合は、使う側と使われる側とでは結果は逆になりますよね。使う側から使われる側にお金が移動して、その点だけで見ると「豊かさ」が移動します。これが、三宅さんが番組で言っていた「消費者や生産者という言葉に感じる違和感」の正体でしょう。
ところが「時間」は手段と目的の両面性によって、使う側も使われる側も「豊かさ」を同時に得ることができます。ただし、提供側が『その<時間>は、お金と引き換えに渡す<商品>』という固定観念を脱することができれば…ですが。三宅さんが言う「畑をどんどん見に来て欲しいし一緒に作業してほしい」というのはその具体的な方法ででしょう。
「メディア化」とは、そのようなものなのです
とはいっても、「お金」という非常に便利な価値の代替手段がなくなるわけではありません。そんな夢みたいな話をしたいのではなく、今後も価値のやり取りには「お金」という便利な手段はもちろん使い続けられます。
ただ、「お金」で「モノ」を消費してもらうのがビジネスと考えるのではなく、自分たちに「時間」を使ってほしい、自分たちは「いい時間」を提供するから・・・そしてその「いい時間」を維持するために必要なお金を負担してもらう、というビジネスを考えること。
これって、放送局のビジネスによく似ていると思いませんか? もしくは、映画製作者やミュージシャンや劇団なんかと。そうです、「メディアビジネス」とはそのようなものなのです。
何度もいいますが、これが、SDGs時代には、企業も自治体もみんなが『メディア化』していくということなんですね。
でも自分たちのところでは、どうしたらいいのか? 悩みますよね〜。
発想の転換ポイントや打ち手はたくさんあります。良かったらお気軽にご連絡ください。一緒に考えさせていただければ嬉しいです。