トミタブログ

久々に聴いた史佳の三味線は、身体の一部となっていた

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こんなに手元をいっさい見ない弦楽器のプレイヤーって見たことありますか?

http://www.ustream.tv/recorded/41939214


世間のクリスマスムードとは全く関係ない浅草で、久しぶりに聴いた三味線プレイヤー史佳(ふみよし)の演奏は、ずいぶんと迫力を増していた。

この日のイベント「あさくさ和装塾」で、僕はカメラを向けながら見ていたのだけど、これほど手元を見ない弦楽器奏者って見たことないなぁ・・・と思いつつ、三味線という楽器の面白さについて想いを馳せていた。

 

確かに、三味線と言えば瞽女さんなど 盲目演者の楽器としても知られる。

その形・・・三本の弦がフレットのない竿に張られている形自体が、元々とても身体的なのかもしれない。

 

とはいってもやはり楽器に違いない。
自らの身体自体を楽器とする「歌」のようにはなかなかいかないだろう。

でも今回見た史佳の演奏は、三味線という楽器の存在を忘れているかのような印象を受けた。
我々が歌ったり、歩いたり、走ったりするのに、いちいち身体のパーツ個々の動きをチェックしたりしないように、演奏がごく自然な「無意識行動」になっているのだ。

誤解されそうな表現だが、ただ弾いているという感じ。
ただ自分のイメージした音を出すために自然に指が動いている。

 

曲芸じゃないので、べつに手元を見ないことが三味線弾きにとって最高の技術などと言ってるのではない。結局は、無意識行動の先にある、そこから紡ぎ出された「音」が一番大事なんだけど、それはもちろん繋がっていて、昔みた彼の演奏とは比較にならない迫力で迫ってきた。

*USTREAMの映像は、机に転がしたダイナミックマイク1本で拾っているので、その素晴らしさの半分も伝わらないかとは思います

 

新潟時代、良寛や会津八一 の書の持つ魅力に出会い、僕は「書」がとても好きになったのだが、この無意識行動と繋がっているような気がする。

良寛和尚や会津八一の書の魅力は、表現意識を超えたところにある無意識の美意識に違いない。
「ただ書いた文字」が持つ美しさ・・・それは多くの書家が憧憬し、しかし果たせない極みで、とっても日本的な美意識なのだと思う。

 

まぁそこまで言われるとやりづらいかもしれないけど(笑)・・・今後の史佳くんの三味線に、ますます期待したいと思った夜でした。

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