トミタブログ

「価値」ってなんだろう? もしもこの世に人がいなければ、ダイヤモンドと石ころは変わらないのか?

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新年もあっという間に1週終わりました。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

例年、思考が深くなる暮れ正月、昨年は「仕事とは何か?」を掘っていました。ママ大でもよく話している「報酬三分説(さんぶんせつ)」の考え方に至り、「仕事とは、価値を生み出す営みである」というのが僕の結論でした。
「価値を生み出す営み」に報いられる報酬は、お金、感謝と評判、満足感の3つで、その意味で家事も育児ももちろん仕事である、とね。(報酬三分説について詳しくはコチラ

で、今年はというと、僕は「価値」についてずっと考えていました。
「価値を生み出す」という「価値とは何か?」という問いです。

 

「価値」とは何か?

昔むかし、僕も大学で経済学を学んだ気がしますが、近代経済学というのは「功利主義」が基本であり、他人(社会)にとって役に立つかどうか(有益性)が「価値」の根本のようです。
富田の報酬三分説では、自己満足も大いなる価値と見ていますからそこは違うものの、自分も含めて「人」にとっての有益性という点は変わりません。「有益性」とかいうと難しいので、「喜ばせる」といってもいい。
つまり、「価値とは、(自分も含め)人を喜ばせるもの(こと)」といえるのではないでしょうか。

だとすると、ある人が喜ぶことはある人は喜ばないわけで、面白いことに気が付きます。それは・・・

「価値に、絶対指標はない」

ということです。

また、人が喜ぶことが価値だとしたら、もしこの世から人がいなくなったら、富士山にもダイヤモンドにも価値はないのか?という疑問もわきます。
そこで、暮れ正月にとくと考えてみたのですが、僕の結論は「ない」。正確にいうと「価値という概念自体がなくなる」つまり・・・

「価値とは人にとっての勝手な概念である」

ということなんですね。


「世界の富豪8人の総資産が全人類総資産の半分以上」というニュースに思ったこと

正月のテレビ番組で、興味深い話をしていました。
世界の一部大富豪への資産集中は年々高まっていて、世界中の人の資産を合計した人類全体資産のうち、上位8人が持つ資産が過半数を超えているんだとか。
想像できますか?世界の半分の人が持つ資産の合計よりたった8人の資産の方が多いってことを。

世界で最も裕福な8人  出典 jp.reuters.com



テレビの向こうでは各先生たちが、このことの社会問題性や今後の予想、向かうべき方向などを議論していましたが、でもなんだか僕には意味のない(失礼ですが…)議論のように思えました。

うまく伝わるか分かりませんが、不満でも怒りでも諦めでもなくて、ごく普通に考えて「そんなことあり得ない」と思うからです。

ここでいう「資産」とは、もちろん「金融資産」です。世界の大富豪8人は、おなじみのビル・ゲイツさんや、Google、Amazon、Facebookなど世界中の人が使うサービスの創業者がほとんど。

ある先生は、「世界中の人が毎日これだけ使うサービスを生み出したのだから、その人に資産が集中するのはある意味正しい」といってました。まあ一理あるにしても、世界総資産の何割も…というのは「経済活動の対価」としてはあり得ないでしょう。いくらAmazon利用者が多いといっても、人はAmazonのみにて生きるにあらずで、近所の商店でも買うしコンビニでも買います。

要するに経済活動の結果ではなく、自分が創業した企業の株価を中心とした価値・・・つまり金融のバーチャルな世界が作り出した「価値」です。

それは、地球上の多くの人が知らないうちにどんどん膨らんでいる「お化け」です。世の中の多くのベンチャー起業家やキャピタリストたちは、この「お化け」と真剣に向き合っているのでしょうが、僕はどうも興味が持てません。

誰かが大地から美味しい野菜を作り、誰かがそれを街に届け、誰かがそれを美味しく料理して、誰かが大満足して食べた・・・という経済は誰でも想像がつきます。皆が「いい仕事」をして「3つの報酬」が回っていく実体経済の世界。地球上の多くの人は、こうした「仕事」を繰り返して「お金」と「評判」と「自信」とを蓄積していこうと考えるものでしょう。それが本来の「資産」です。

ところが金融経済の世界では、こうした日々の営みとは別次元で銀行や証券会社の資産残高の「0」がどんどん膨らんでいきます。それが、同じお金とされているのが困りモノで、コツコツ「いい仕事」をして積み上げている人の資産が相対的に価値が低くなっていくわけです。

 

サッカー選手とバスケットボール選手、どっちが価値がありますか?

これは、ルールもスピード感も何もかも違うゲームを同じ会場でしているようなものです。

例えば、サッカーしてる横でバスケもしていて、サッカー選手が1点2点で一喜一憂していたら、隣のバスケでは100点超えているような感じ。それでもスポーツニュースでは今日の得点王ランキングを同列で発表して「いやぁ上位はすべてバスケ選手ですね〜!サッカー選手ももう少し頑張らないと」といってるみたいな感じではないでしょうか。


こういう話だと子供でも「それ、オカシイんじゃね?」とわかりますが、マネーゲームだとそう簡単じゃない。

でもここで、サッカー選手たちがバスケ選手に転向するのが正解でしょうか? それとも好きなサッカーをし続けて、「また今日もサッカー組は得点ランキング下位ばかり。これはひどい!」といわれ続けるほうがいいでしょうか?

 

僕はね・・・・、
サッカーし続けます。

「これはひどい!」といってるのは誰かの基準であって、「価値に絶対指標はない」んですから。

もちろん、人は社会の中で生きているのでそう自分勝手に尺度を変えられるわけではありません。

とはいっても、その「価値尺度」は、ある時代、あるエリアで共有されているものであって、時代とともにどんどん変わって来たことは歴史が証明しています。一番羨ましがられる仕事も、一番モテる顔も、一番美味しいといわれるものも、エリアによって時代によって全然違います。

昔に比べて現代は、その「価値尺度」がかなり世界で共通化してきたとはいえるでしょう。こうして共通化した時に便利だった価値尺度が「お金」ですが、お金は報酬三分説でいえばひとつの要素にすぎません。

あと何年後かは分かりませんし、世界中でそうなのかある範囲でそうなるのかは分かりませんが、かなり多くの人々が新しい価値尺度をベースに日々いい「仕事」をし、それに見合った「報酬」を得て、いい人生を過ごすようになるのではないか・・・と夢をみています。まあお正月くらい、いいでしょ。(え?お前いつもだろって??)

***

皆さまにとって、2018年がいい年になりますように。

本年も「夢のある仕事」に邁進する所存であります。
トミタプロデュース株式会社、ご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。


【追伸】

2月25日(日)16時〜 門司港の旧大連航路上屋で、今年最初の、そして今年度最後の【関門時間旅行】の公開生中継をします。今回はいつもより少し規模大きめのシンポジウム形式。特別ゲストはデザイン活動家のナガオカケンメイさん!

ケンメイさんといえば、「長く続くいいもの」と「その地域らしさ」についてひたすら考えている人ですが、「いいもの」も「らしさ」も本エントリーに書いたことととても関係があることだと思うので、どんなディスカスができるか今からとても楽しみです。ただ今観覧希望者を募集中。先着200名さま!交流会もあります。

近所の方のみならず、遠くからわざわざ来る価値のあるイベントになると思いますよ〜。ご興味のある方はこちらで詳報をご確認ください。観覧応募も同ページで。

https://kanmontime.com/live/006/