安倍政権で取り組もうとしている「放送法改正」をご存知でしょうか?

これは、もしかしたら「憲法改正」以上によく考えておかないと、大変なことになりそうな気がします。メディア環境がまったく違う頃にできた古い法律ですが、メディアの本質を考えるのに良い話なのでブログにしたためておきます。

 

まず、「放送法」とは何か、をざっくりと

だいたい放送局のひと以外「放送法」なんて関係ないので、どんな法律なのか知りませんよね? 簡単にお伝えしましょう。

 

  • 「電波三法」のひとつとして戦後間もない昭和25年にできた
  • 戦時中ラジオが政府宣伝に使われた反省から作られた
  • 放送事業者の自律をを保障しつつ公共の福祉に役立つようにある法律

 

NHKや放送大学、有料放送事業者など放送に係る事業者の決め事もありますが、キモ中のキモなのが今政府が話題にあげている「第4条」です。

1、公序良俗に反しない

2、政治的に公平である

3、報道は事実を曲げない

4、意見が対立する問題は多角的な論点を示す

というのが放送法第4条の内容で、
放送マンはこの「精神」を理解しつつ、だけど より面白い、人の気持ちを動かす「いい番組」を作るために知恵を絞り、ギリギリの解釈をしコーナーいっぱい攻めながら企画を練っていく・・・のが醍醐味だったわけです。

 

安倍政権では、この第4条の撤廃を含め、

 

①「通信」と「放送」で今は異なってる規制・制度を一本化しようぜ 

②放送のソフトとハードを分離徹底して多様な制作事業者の参入を促進しようよ

③ただしね、NHKだけはこれ適応しませんから〜

 

ということを推進しようとしているんですね。ふむふむ。

 

 

「通信」と「放送」とは、何が違うのか?

 

僕は最初に入った会社が「第二電電」という当時ベンチャーと呼ばれた通信企業で、通信事業者の法律「電気通信事業法」の下で社会人としてスタートしていて、その後、放送に関わるようになったので、まさに「電波法の子」です。

まだ昭和の時代から、「放送と通信の融合」なんていわれていたけれど、「放送マンと通信マンとは全く違う思考だから融合なんてしないよなぁ」

と昔っから思っていました。

 

昔は「通信」はインフラに徹するのが通信マンの心意気でした。

「通信の秘密」という考え方が電気通信事業法の中でも最も大事なキモ。

 

要するに、

通信とは【信書】であり、「秘」が基本
一方で、放送は【公器】であり、「公」が基本

なのです。

インターネットが、情報流通メディアのメインになったことで、通信に乗って流布するコンテンツが増えに増えましたから、もはや政府が推進しようという「多様な制作事業者の参入」は実現していると言ってもいいでしょう。

でも「電波」はまだ開放されていない。

「電波」は非常に効率がいい情報流通の方法ですが、「電波」は限られています。いくらでも増設できるサーバー&ネットワークとは異なり、有限の「幅」を分け合って情報が伝わる「チャンネル」を作るものです。

デジタル技術の進歩によって、1つのチャンネルに必要な「幅」が小さくなっているので昔よりもずっとチャンネル数が増やせるようになりましたが、限られていることには変わりありません。

 

この限られた「チャンネル」を使うには、放送法4条の「1〜4」のルールに従って24時間をどうデザインするかという「編成方針」を示して認められる必要があるわけですが、ネット映像メディアにはそういうことはありません。

もちろん、公序良俗とプライバシーや人権、著作権などを始めとする法令遵守は「ポリシー」の基本としてありますが、それさえ抑えればどんな個人的な意見も主張もOKですよね? 別の意見や主張があるなら自分も言えばいいのですから。

 

簡単にいうと政府は、効率いい情報流通手段である「電波」についても、

・放送チャンネルをYouTubeのようなルールで運営したらもっと活性化していいんじゃない?

・でも、NHKだけは別だけどね

と考えているのでしょう。
情報メディアは有望市場だしもっと経済発展に貢献するでしょ、という感じでしょうか。

しかしそれは、放送の「公器」という性質を軽視した発想です。

前者の方は確かに、YouTubeやAbemaTVやニコニコやいろんなメディアが登場してコンテンツの多様性が増し、制作者も表現者もいろんなタイプの人が出て来ました。既存放送局よりもそっちを主に見る人がどんどん増えているので既に実態がその方向(多様な制作事業者)なのだと思います。

それが問題か?というと、既得権益の放送局には脅威でしょうし、同じ価値観がタコツボ化していくなどいろいろな問題はありますが、基本的には僕は賛成です。
新聞や雑誌など紙媒体は今でもそういうものですし、WEBメディアだって規制で縛れるわけではありませんから、映像・音声での番組的表現がますます自由になっていくのは止められない方向でしょう。

 

より問題は後者の「NHKだけは別」の方で、これはけっこう恐ろしい。。。

安倍政権が目指す放送法改革が進むと、NHKは「公共放送」から「公共メディア」になるそう。

つまりNHKだけが「公器」の扱いになり、世の中もより強くそう思うことでしょう。「NHKがいうこと」のパブリックイメージが高まるわけです。簡単に言うと「NHKが言ってたから本当」という心理。

しかし、そのNHKだけは編成方針も番組内容も政府にチェックされる構造になる、ということです。どう思いますか?

状況としては、どこかの将軍様の国みたいな感じに近づかないだろうか・・・と心配になります。

 

 

国が「公共メディア」を作るのではなく、
「メディアが国を作る」ことを、僕らは意識しなければならない

 

「放送」というか、映像・音声を伴ったメディア表現というのは、非常に大きな影響力を持っています。単に情報量が多いというだけでなく、耳から入る情報と動く映像というのは温度感を伴って「頭」以上に「心」に入りやすいのです。

 

アメリカ軍は、昔から戦場の最前線にラジオ局を作ります。そこでアメリカの楽しい音楽や愉快な話を流布します。ある意味それは戦車や戦闘機より爆弾やミサイルよりも強い兵器です。

 

また、中国みたいなあんなに広い国が一つになるには「中央電視台」というテレビ局があることが大きいと僕は思っています。一人ひとりの国民が「自分は中国人だ」と意識するのに欠かせないのがメディア、とりわけ放送メディアです。多くの人に共通するメディアの発信点こそが「中央」になっていきます。

 

放送法では外国資本に関する規制もありますが、放送局という存在は「国」を国境ではなく価値観で維持するために欠かせないから簡単に乗っ取られないようになっているのでしょう。

 

憲法改正議論も重要ですが、その前にこの「放送法改正」は、電波の有効活用で経済的なメリットがどうこうという目先の「合理的な話」ではなく、「国の形を左右する大きな問題」だという意識をみんな持ったほうがいいと思います。

「メディア(特に放送型のメディア)が、国という意識や形を作る」ことを、もっと僕らは意識すべきではないかと。

 

一方、「放送法の改正」がどうあれ、放送法の範囲外であるネットで発信される映像・音声コンテンツがより大きな影響を持つ状況にはますますドライブがかかるでしょう。その流れは止められません。

 

なので、わたし個人的には、「放送法」に関係なく【より良いメディアとして発信しようと思う人】を地道に増やすお手伝いをしたいと思っております。

メディアとは、メッセージを届けるための容れ物です。
メッセージ自体がシャープなことが最も重要ですが、それをより遠くに届け、より深く刺すためには、やはり様々なコツやノウハウがあります。

どうせならそれを、僕が好きな価値観を共有できる人により多く身につけてもらいたいと思っているのです。 ご縁があるようでしたら、一緒にやりましょう!