メリー・クリスマス!
メディア・プロデューサー/メディア化支援アドバイザー/SDGsプランナー 富田剛史です。

「アフガニスタンの復興に尽力した医師 中村哲さんが銃撃され死亡」 2019年の暮れ、突然もたらされた悲しいニュースでした。

多くのメディアが報道する中、NHKが2016年に放送したETV特集も再放送されました。ご覧になった方も多いでしょう。この番組で中村哲さんが語られたことは、未来を生きる人たちにとってとても重要だと感じたのでトミタブログに書き止めておきます。

「偉い人」と言われるほど、中村哲さんは悲しい気持ちになるのかもしれない

そのNHKの特番は、中村哲さんのアフガンでの活動を長年追い続けた、実によくできた番組でした。多くの人はそれを見て「なんて偉い人だ!中村哲さんのような人はめったにいない!!」と思ったことでしょう。僕ももちろんそう思った…。

しかし、一方でこんな風にも思いました。

 

もしかしたら、「中村さんは本当に偉い!こんな人めったにいない!」と言われれば言われるほど哲さんは逆に悲しむのかもしれない…と。

日本政府は勲章と安倍首相からの感謝状を贈るそうですが、中村哲さんはたぶん「それは結構ですので、もっと他のことしてほしい」といいそうな気がします。

 

この状況を見て何もしない医師がいるとしたら、その医者はちょっと頭がイカレてる人ですよね

中村哲さんは最初は、人道支援のためにアフガニスタンに行ったのではないそうです。蝶が好きで、ただ蝶を追いかけて行ったのだとか。そして現地の惨状を見て医師としてここに残らねばならないと思ったのが、この長年にわたる復興支援のきっかけと言うことでした。

 

まだ活動初期の若々しい中村哲さん。NHKの取材に対して何の気負いもなくこう答えていました。

「もしこの状況を見て何もしない医師がいるとしたら、その医者はちょっと頭がイカレてる人ですよね」

 

うーん、哲さんの言葉に、頭がイカれないで生きる大変さを思い知ります。しかし確かに、中村哲さんの方が「普通」ですね・・・。

 

この「普通の感覚」を中村哲さんはどれだけのことを成し遂げても、おごらず、怒らず、ごく普通のこととして持ち続けていたことが、この番組で長期に渡って追いかけた哲さんの発言を通じてひしひし伝わってきます。

 

中村哲さんの「普通の感覚」、そのシンプルな重さ

アフガンでの活動のはじめのうちは、中村さんは医者として多くの住民を診察し、お年寄りから赤ちゃんまで出来る限りの医療を施していました。しかし病気になる環境を変えなければいくら薬を出しても追いつかない。水で洗うだけで、少し栄養をとって休息するだけで、かなり症状は改善するとわかっていても、水も食もないのでその診断を患者に伝えることができないもどかしさ。

 

「100人の医者が来るよりも一本の水路が通る方が重要だ」

そこで中村医師は白衣を脱ぎ自ら用水路を掘ることにしました。やったこともない土木作業。手探りの水路設計。扱ったこともないショベルカー。

 

当然何度も失敗し、しかしその姿に心を動かされたアフガンの男たちが少しずつ自分ができることをやらせてくれと作業に加わり、ショベルとツルハシで石を砕き遠い河の水を乾いた大地に引き込む用水路を掘り進めていきます。

そして苦労の末にようやく完成し、砂漠に水が流れていったときの感動的なこと。思わず涙があふれます。

 

一年後には、あの枯れ木1本なかった砂漠に青々とした米や麦が育ち、見事な緑の大地に変貌を遂げていました。

秋には収穫。川には魚や小さな生物たちが戻り、蝶が舞い鳥が飛ぶ。

本当におとぎ話のような映画のようなドキュメンタリーでした。

 

これは平和活動ではありません。私にとっては医療の延長線なんです

そんな偉業を遂げた後のインタビューで中村哲さんが言った言葉がとても印象的です。

「私がしていることを平和活動と言う人がいますが、全然そうは思っていない。平和はこうして水が手に入り食べ物が手に入り子供たちの笑顔を見た大人たちが幸せを感じた時に結果的に得られたものであって、平和活動として用水路を掘ったのではないんです」

「これは医療行為の延長なんです。診察をしたり薬を出したりするよりも、一本の水路を通したほうがよほどたくさんの人の命を救える。それだけのことであって、目の前にいる人の命を救う行為という意味では、私にとってこれはほんとに医療の延長なんですよ」

本当に中村哲さんらしい感動的な言葉ですが、これを聴いて冒頭に書いた通り多くの人は「中村哲さんは偉い!こんな人はめったにいない!」と思うに違いありません。

 

ただ、言い方が難しいけれど、彼はおそらく、「自分のことを偉いなどという人がいなくなる時代が来たらいいのに」と思っておられたのではないでしょうか。「だって、本当にごくごく当たり前のことでしょ?」・・・と、誰を責めるでも怒りをぶつけるでもなく淡々と語りながら。

 

「平和活動ではない」と言ったのは、これは平和を脅かしている側を非難する活動ではなく、単に困っている人を助ける活動ということでしょう。

そのメッセージは実に強烈ですが、受け取る側の方にいろいろ“棚に上げておきたい事情”があるために、哲さんを「偉い人」にまつりあげることでその「普通の感覚」を普通じゃないものにしているわけですよね、我々は。

 

アフガンの話ではなく、日本でも、他の国でも同じかもしれない

全く別の話のようですが、この中村哲さんのシンプルなメッセージは、ありとあらゆることにつながっているように思います。

 

例えば「仕事」。

仕事と言うとついつい、たくさんお金を稼ぐほうがいい、たくさんお金を稼いだ人が勝ち…と思いがちですが、そもそも仕事をしているのは毎日を幸せに過ごしたいからに違いありません。幸せな毎日とは何だったのか、つい人は忘れてしまいます。

 

アフガニスタンの兵士たちは、家族を養うために一生懸命働いていていた

アフガニスタンでは戦争によって土地が荒れ果て砂漠になり水も食べ物も得られなくなって、男たちは家族を食べさせるために仕方なく傭兵になっていきました。

タリバンやISに入る人もいれば、逆にそれと戦うアメリカ軍に雇われる人もいる。でも本当は彼らの多くはそのどちらにも入りたいわけではありません。ただ武器を持って戦えばもらえるわずかなお金が欲しいだけで、そうしているのだそうです。

もちろん彼らにはミッションが与えられ、徐々に各人なりの正義感も持ち一生懸命に戦い始める。

 

元傭兵だったと言う男が中村さんの用水路建設の作業に参加してインタビューに答えていました。

「農業ができれば、食べるものが作れるのなら、誰だって戦争になんて行きたくない。家族と共に働いて一緒にいられたらそれが1番だよ」

 

この話は、遠い国の話でしょうか?

さてこの話、多くの人は「遠い国の自分とは遠い話」だと思ってテレビを見ているでしょうが、果たしてそうでしょうか?

傭兵になって武器を持って戦っているわけではありませんが、あまりしたくもない何かを家族を食わすために「誰かが作った仕組み」の中で、訳も分からずこなしている人は日本にもたくさんいます。いえ世界中にいます。

もちろん、みんな決して悪くない。それぞれが必死に生きている。

 

似ていると思いませんか?

それ以外どうしたらいいのかわからない。

 

 

「社会をもっと良くしたい」

「働くみんなの笑顔のために」

「かけがえのない地球を未来の子どもたちに」

 

美しいスローガンとは裏腹に、よりよい社会や働く人の笑顔や子どもたちの未来にとってもしかしたら都合が悪いかも…とどこかで感じつつ、別の何かのミッションを達成するために、「事情の棚上げ」をしながら、それぞれ一生懸命に働いている。

 

その「事情」とは、既得権益であったり、先の先まで約束された(と思っている)未来であったり、見てみぬような振る舞いであったり・・・いろいろです。総論賛成…だけど各論反対!とばかりに「今はそこは棚に上げておく」という、ほんの小さなズルさや弱さや愚かさが誰にでもあるわけです。もちろん僕にも。

 

昔の価値観で生き続けねばならない理由が減ってきた時代、あとは私たちの「普通」の感覚が変わるかどうか

それが少しづつ積もり積もって非常に無理な状況が生まれているわけでしょう。
戦争や貧困も、いじめやパワハラ・セクハラも、ワーキングプアも・・・。

しかし、小さな意識改革の連鎖によって、もしかしたら「普通」の状況に近づけることができるかもしれない・・・ということが見え始めたのが、この令和の時代=本格的な21世紀=新時代なのではないかと、やや楽観的ではありますが、僕はそう思います。

昔なら、都合の悪いことに目をつぶって「分かってるけど仕方ない!」と突き進むしかなかったのが、技術の発展とメディア構造の変化と新世代の価値観変化によって、昔の価値観で生き続けねばならない理由が減ってきているからです。

あとは、「うーん、ちょっと自分を見失っていたけど、よく考えたら、普通こっちだよなぁ…」と多くの人が思えればいいだけではないかと。どうですか、哲さん?

 

SDGsが叫ばれるいま、中村哲さんが伝えたかった「ごく普通の感覚」を忘れないようにしたいものです。このNHK ETV特集、今後も再放送の機会があると思うので、見ていない人はぜひチェックしてご覧になってほしいと思います。

中村哲さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。合掌

(※写真はイメージです)