この数年すっかりSDGsのエヴァンジェリストとなっている、メディアプロデューサー、メディア化支援コンサルタントの富田剛史です。

さて、どの師匠だったか忘れましたが、昔聞いた落語の枕(本題に入る前の導入噺)にすごく好きな話があって、ちょっとご紹介しましょう。

 

お餅のカビはどうして生えるのか?

落語家の弟子たちが楽屋で話し合っています。話題はお餅にどうしてカビが生えるのか。

「しかし不思議ですよねぇ。カビってやつぁなんで生えてくるんですかね?」

「そりゃお前、湿気が原因じゃねーのか」

「いやー湿気ったって、毎日カラカラですよ」

「だけど部屋の中には結構な湿気があるもんなんだよ」

「冷蔵庫の中に入れとかないからだよ」

「最近は真空パックに入った餅もあるから、あれならカビが生えないよな」

「あーなるほどねー、技術の進歩ってヤツですか」

 

そこに大御所の師匠が入ってきます。

「あ、師匠!おはようございます。お疲れ様です」

「おお、お前たち一体何話してたんだ?」

「ああ、いやお餅の話ですよ」

「餅ぃ?」

「はい、まぁ餅ってぇか、カビの話。なんで餅にカビって生えるんですかね〜」

 

「なんだお前ら、そんなことも知らねーのか?」

「師匠、ご存知なんですか?」

 

「決まってんだろ!早く食わねぇからだ‼︎」

 

(笑)…と言う他愛もない話ですが・・・、
僕はSDGsの話題を誰かとしているときによくこの話を思い出します。

 

食品ロスの課題を解決する企画を持続可能にするには

先日出席したある会議で、食品ロスの問題を話し合っていました。

農産物には出荷前に廃棄される廃棄農産物がたくさんあり、それをなんとか無駄にしない企画を考えようと言うものです。

 

農家と交渉して廃棄農産物を無料で譲ってもらい、それを企画に賛同する会社がトラックを出して無料で東京に運び、企画に賛同する東京のレストランが無料でカレーに仕立てる。それをボランタリーにフリーマーケットで販売して、東京の消費者に食品ロスの問題を考えるきっかけにしてもらうと言うことでした。

 

もちろん、素敵な活動です。しかしこのままでは持続可能ではなさそうです。

その日カレーの販売で上がった収益は12,000円だったそうで、今回は野菜の提供も運ぶのも調理するのもみんな無料で協力してくれましたが、ずっとそれは難しい。

そこで、今後この活動に賛同してくれるスポンサーを見つけようという話でした。
しかしそう簡単にはスポンサーは出てきそうにない・・・。

その時に僕がお伝えしたのは、その活動と同時にメディアを作ること。ウェブでも印刷物でもいいので、廃棄農産物の現状とでる原因とを取材し、誰かを悪者にするのではなくみんなが考える材料になるような、そんな記事でも番組でもいいから作ってみて、それを同時に広めながらカレーを配布したら良いのではないかと。

そうしたメディアができれば、そこに企業メッセージを伝える媒体枠もでき、いわゆる営業もやりやすいかもしれません。
この場合、何人にどれだけ企業メッセージが伝わるという「費用対効果」で押すのではなく、その企業が未来の人に伝えたいこととの一致感が大事でして、その相手を丁寧に探す必要がありそうです。

 

ただ、それでもし企画が成り立ったとしてもまだ多少違和感が残ります。僕はもともと「広告屋さん」ではなく記事や番組を作る「メディア屋さん」なのでこう思います。本気で「取材」を始め「本編」を作りだすとどうしても向き合わねばならぬことが出てくるのではないか。

つまり、廃棄農産物を無駄なく食べる方法もいいけれど、廃棄農産物を出さない方法を考える方が先なのではないかということです。

 

足し算のSDGs、引き算のSDGs

SDGsの企画を考えるときに、足し算で考えていくことがよくあります。
しかし引き算で考えることも必要ではないでしょうか。

具体的には、これまで大量に廃棄されてきたものを生かす方法を考えることが足し算です。

廃棄される農産物なら、家畜の飼料にしたり畑の肥料にしたりまたは何か別の加工品にしたり。そこには新たな技術が導入され、新たなマーケットが生まれ、みんなハッピーになるではないかと言うパターン。

 

一方で引き算のほうは、廃棄の産物が出る原因を考えそっちをなくしていこうと言うものです。それはこれまでの流通の常識や、大量生産大量廃棄を前提とした経済活動の規模や、買わないのに大量に商品が店に陳列されているスーパーマーケットが当たり前になっている私たち消費者の意識を変えることを考えていく。

 

ただ、引き算のほうはこれまでの習慣や価値観、既に得ている権利や利益を崩して考える必要が出てきてしまう、それがとても難しいところです。だからみんな、これまでの価値観とこれまで通りのやり方を変えない前提で考えるわけですよね。

 

しかし、そんな既得権益と関係ない別のところから来た人から見れば、

「えー、何言ってんだ? こうすればいいに決まってんだろ」

とシンプルに思うのかもしれません。

先ほどの落語の師匠もそうですし、グレタさんのような子供もそうですが、既得権のしがらみがないからシンプルに考え強いメッセージになる。

 

江戸時代に戻るわけにはいきませんから、全部が全部をシンプルにと言うわけではありません。でも、あまりに足し算足し算でそれがまた経済発展につながると言うのがSDGsのゴールだとしたら、それは持続可能なのか?と心配になります。

足し算と引き算とのバランスが大事なのでしょう。

 

シンプルな生産と消費、経済と幸福感のバランスを考えることは「地方創生」のキーではないか

ここで難しいのは、足し算で問題を解決しようとするグループには新たな経済発展があり、引き算で問題を解決しようとするグループはいろいろなことをシンプルにした結果「経済」の点では縮小していくかもしれないということ。

 

だけど、いらないものを無理矢理たくさん作ったり運んだり棚に並べたり、いらないものまで買い込んで結局捨てたり、食べすぎて太ったり病気になったり・・・・・。

それによって、メーカーも流通も産廃も、病院も医薬品メーカーもトレーニングジムも、結果的にたくさん仕事が生まれて、たくさん働かなければならなくなって・・・・・。

そういう経済発展なら、やっぱり根本を見直さないとな〜とは思います。

 

当たり前のことをシンプルにして、もし経済が縮小したとして、そこに幸せが増えている可能性はあるのか?

僕はその答えが「地方」にあるのではないかと言う気がしています。地方創生とはここからスタートしないといけないのではないかと。

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いずれにしても、そう簡単な話ではありません。

今年も自分にできることを、自分も楽しみながら、一つずつやっていくくらいしかなさそうです。

ご一緒くださる方がいたらとても嬉しく思います。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2020年正月 富田剛史 拝