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先生か? ライバーか? 一般的な「授業や講座」「研修や会議」と「番組」とを分けるのは何か?

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メディアプロデューサーでメディア化支援コンサルタント、トミタプロデュース富田剛史です。

少し前からYouTuberという新しいメディアの送り手が多数誕生しましたが、それは「編集された動画」の表現者でした。ところが今、ライブのメディア表現者がどんどん登場してきています。

今回は少しこのことについて考えてみましょう。皆さんの表現や発信のヒントにもなれば幸いです。

2020年はオンラインライブ元年
「先生」と「エンタメ」が一気にオンラインライブの送り手になった

2020年、新型コロナの流行で世界中でオンラインミーティングが日常になり、当初は会議だけだったのが飲み会からエンタメまでオンラインが増え、さながら「オンラインライブ元年」と言って良い状況です。

そんな中で「自分の生番組」発信する人が非常に増えたわけです。

ライブ発信を始めた人たちの多くは、授業や講座、研修などを行う「先生」と呼ばれる人です。大学教授から料理やヨガまで様々な先生。
もう一つはいわゆる表現者で、音楽、芝居、お笑いからスポーツに至るまで、様々なジャンルの人たちです。

さてそれでは、「従来型の授業や講座、研修や会議」と、「番組」とは、いったいどう違うのでしょうか?

従来型の授業や講座/研修や会議と番組との違いは、「言葉以外の表現」を駆使するかどうかにある。

『送り手の意思を伝えるパッケージされた時間』と言う点で、両者はほとんど同じものです。しかし多くの人がその二つを全然違うものと認識しているのはなぜでしょうか。

結論から言えば、「言葉以外の表現」も駆使して伝えているかどうか、これが大きな違いだと思います。

「番組」というのは、言葉による説明以外に、音楽や効果音などの音表現、色やデザインや映像独特の表現、話の構成やテンポ感、説明途中でクイズにしたり等のフォーマットなど、様々な要素を絡めて、結果的には作り手の伝えたいことを受け手に鮮烈に伝えるように作られています。

では、一般的な「先生」や「会議の話者」はどうでしょうか?
それを主催し、準備する側の意識はどうでしょうか?

もちろん、すごく魅力的な授業をする先生も多くいいらっしゃいますが、一般的には「言葉による説明」に加えて、小さな字のスライド資料、分かりやすいとは言えない図表などを用意する人が多いのではないでしょうか。

今、オンラインライブで人気を博す人の中には、オンラインメディアの特性を駆使して、音楽や映像や詩のような言葉、テンポ感や構成、様々な要素の魅力的な表現で受け手の心を掴む新しい「先生」がたくさん出てきていて、そのことにこそ、注目をすべきだと言いたいのです。

音楽もデザインも「飾り」じゃないのよ。「言葉以外」で伝わることを考えてみる。

これまで、一般的な「先生」や「ビジネスマン」がたとえば講演や会議に音楽を流すとしても、雰囲気を和ます程度の意識ではないでしょうか。デザインの方はCIの普及あたりからもう少し重視されていますが、授業やプレゼンの中身を左右する要素とまでは思われていない気がします。

いわば「飾り」で、相手に内容を伝えるのはあくまで「言葉」という固定観念で仕事をしているのでしょう。でも果たしてそうでしょうか?

ここで、発想の転換を図るために、映画監督のことを考えてみましょう。
「映画」は監督が伝えたいことを表現した時間パッケージで、その点では授業や会議とあまり違いませんが、その伝達手段は言葉だけではありませんよね? セリフはもちろん、音、色、カメラのカット割り、「間」、音楽、テロップ文字、ナレーション・・・様々な表現方法が駆使されます。だからこそ、メッセージが強烈に伝わってきて感動するのです。

次に、音楽家のことを考えてみましょう。
インストロメンタルの曲でも人はワクワクしたり涙を流したりしますよね。あれはなぜでしょう。また、人によって感じるイメージは異なるものの、それでもバラバラではありません。偶然ですか?

しかし考えてみると不思議ですよね。ひとつの言葉も発されていない、ただの「音の羅列であるメロディ」や「複数の音が混じった和音」によって誰かの意図が伝わるなんて・・・。

色や形だって同じ。抽象画だと固定観念があるので、服を思い浮かべてみてください。そこに何か具体的なものが書かれていなくても、この布の色や柄が大好き!ということがありますよね。ただの色や形に惹かれていくのです。

さてそれでも、講座や研修や授業や会議では、「言葉による説明だけ」で伝える必然性があると思いますか?

クリエイティブな繋がりをたくさん持つことで、仕事内容も日々の時間もずっと豊かになるはず。

授業も研修や会議もオンラインになり、発想が切り替わらぬ人にはただの不便な代替品ですが、既に発想を変えた人たちは続々と「番組」的な発信をしていますから、いまや先生や会議の主催者自身に、これまで思いもしなかった表現方法についての知見を身に付ける必要が出てきているわけです。

音楽や効果音などの音をどう使えばもっと伝わるか、途中で写真を見せるか動画を見せるか、どんな風に見せるか、その他諸々の選択が、授業にも会議にもあり得るわけで、たくさんの打ち手を使える人とそうでない人とでは表現の幅が違ってきます

多くの旧人間の希望的観測では一気にではなく時間をかけて変わるのでしょう。しかし今年起きた変化の幅と、オンラインで動くことの集中度の高さを思うと、案外あっという間に時代が変わるのかもしれません。
少なくとも若者や子どもたちは、スキルを積む方向を間違わないようにしたい。

当然ながら、クリエイティブや技術的なことは外部発注もありです。ただし、外部に依頼するプロデュース能力と、日々の発信を自分で運営できるノウハウはみんなが身につけざるを得ない時代になっていくでしょう。

自分にはクリエイティブな能力がない、不器用だ・・・と思っている方、何も自分でする必要などありません。周りにいろいろな人がいるはずです。音楽が得意な人、絵が得意な人、ダンスが上手な人、アウトドアの達人や素晴らしい写真を撮る人・・・などなど。

それはそのまま、SDGsの時代の実現につながっていく。

また上手がいいとは限りません。他でもよくあるきれいな絵や音楽や写真なら、著作権フリーサイトで得られるものと変わりません。もっとめちゃくちゃ個性的なものが良いのです。

これまでの社会は、学者にせよビジネスマンにせよ、ほとんど同じような人たちとしか付き合いが無かったはずです。異業種交流会などといっても似たような境遇や思考の人たちばかりで、そこにアーティストや引きこもりや赤ちゃんを抱いたシングルマザーはいなかったでしょう。

それを、「多様性の無さ」といいます。

SDGsで、脆弱層の包摂(ほうせつ)といいますが、自分は社会の上層から助ける側と思っていた人が、弱者と思っていた相手を、自分にはない何かができる異なる特性の人と考えられるようになれば、「誰ひとり取り残さない」という意味が、【哀れみ】や【施し】ではなく【対等】ということに気が付きます。

多くの人が、これまで自分の仕事に必要とは思わなかった様々なタイプの人と関わり、魅力や知らぬことを肌で知り、自分の仕事や日々の時間に取り込んでみること。それは、大変であると同時にとても楽しく、経済的な利益だけではなく本当に豊かになる経験でしょう。

また、「オンラインライブの時代」は、地方と都市との関係も変えていきます。

これまでなら、「最高の知」や「最高の文化的刺激」に出会うには都市が有利でしたが、オンラインメディアで生でつながることがさらに一般化すれば距離の壁は瓦解します。逆に非常に価値があっても距離の壁に阻まれて多くの人に発信しづらかった地方の魅力も伝わっていきます。

あらゆることの「メディア化」が、思いもしなかった表現手段やキャスティングの必要性を生み、効率人間だけでなく変わった人や面白い人や弱い人が活躍する場が広がり、そして地方と都市とが関係の有意差を変えていくことによってSDGsの時代が現実化するのではないか…と感じた、コロナ禍の2020年です。

さて、あなたはどうお感じでしょうか。よかったらご意見おきかせください。