随分と久しぶりのトミタブログとなりました。今日の18時からゼレンスキー大統領がオンラインで日本向けに演説をするようなので、その前に書き留めておこうと思いまして。
ウクライナ隣国のポーランドで、難民受け入れセンターのボランティアをして帰国したばかりの大学生に聴いたこと
トミタは、毎週水曜日の朝9時~恒例、日本ママ起業家大学のWEB TV番組「Good Morning Mirai」に出演してコメントしてますが、本日はウクライナ難民受入れの入口のひとつ隣国ポーランドに急遽入ってボランティア活動をして帰ってきたばかりの大学生へのインタビューでした。抜群の行動力の学生さんは、慶応大学2年生、2001年生まれの21歳というムラヤマカイさん、フクダリョウタさんのお二人。
◎Instagram:Get up! Stand up!
◎ウクライナ難民支援のクラウドファンディングも実施中
よかったら一口、支援してあげてください
Z世代全員が…ではないのでしょうが、やはり明らかにそれ以前にくらべて「お金のため権力のため競争で勝つため…という競争意識」とは違う世代だなあと感じます。物質的な豊かさの中で生まれ育ち、世界は繋がり、SNSも当たり前・・・という中で彼らの興味関心や渇望感は別のところにあるのでしょう。
今回の 「Good Morning Mirai」 でみんなで話したのが、「第三次世界大戦」を具体的に想像すること。ウクライナの状況を肌身で感じてきたばかりのカイさん、リョウタさんは、とても具体的に想像してくれました。そして今あらゆる世代のみんなが、その想像をすべきと思います。
ゼレンスキー大統領演説の前に、意識しておきたいこと
テレビや新聞などマスコミは、ウクライナの惨状、悲惨な市民の姿…。そして、軍事評論家、外交評論家、政治ジャーナリスト、経済の専門家などが現状分析と次の一手の可能性を語り、一刻も早く解決を望みますと悲痛な顔で締めくくる。
今夜のゼレンスキー大統領演説のあとは、さらにそのベクトルが勢いづくことが容易に想像できます。そしておそらくそれは、世界中のほとんどの国でそうではないかと思います。だからこそ、ゼレンスキー大統領は、直接各国メディアを通じて市民に語りかけているのでしょう。
さて、その先にどんな未来が想像できますか?
世界各国のメディアが、ウクライナの惨状と軍事、政治、経済の作戦をどうとるべきか専門家が日々伝える番組や記事に毎日触れた各国市民の気持ちには、「怒り」「憎しみ」「恐れ」「自己防衛」の気持ちが高まるのは明らかです。
第二次大戦前を描いたドラマや映画…割烹着のお母さんが婦人団へ変わっていくのを他人事だと思ってませんか?
第二次世界大戦前の日本を描いたドラマや映画など、思い出してみてください。
昭和のはじめの割烹着のお母さんたち・・・おっちょこちょいで世話好きで人情に厚い・・・みたいな人たちが、どんどん目が釣り上がり、スローガンをたすきにかけて、自粛警察的な婦人団を組み始めて異質な考えをする人を糾弾するようになりますよね。
また、第二次大戦前はけっこう豊かな広がりを見せていた音楽や詩や小説、絵画やパフォーマンスなどのアート、そしてスポーツなどが徐々に制限され、敵国の芸術を排除し、自国の芸術も戦意発揚、鼓舞のものがもてはやされ、それ以外のものは(国の強制もありますが)表現がしづらくなって、表現者自身も意識が変わっていきますよね。
ドラマを見ながら多くの人は「何でああなるんだろ?」と思い、「自分はそうはならない」と無意識に思うわけですが、でももう既になり始めていると思いませんか?
女性たちがあの思考になったら、アーティストやスポーツマンが自由に表現できなくなったら、きっともう戦争は止まりません。行きつくところまで行って、街が瓦礫と化し、たくさんの犠牲者が出て、もうこれ以上は無理だ…となるまで戦争は終わらないことは歴史が証明しています。
そして、ようやく終わった戦争の後に、徐々に新しい世代が世を再生しつつ、悲惨な戦争はもう二度としてはいけない…私たちはどこで間違ったのか?などと振り返るわけです。
そこで、やはりあの「お母さんが○○団になってタスキをかけた時」「アーティストやスポーツマンが表現の制限は仕方ないと思った時」だったと、戦争を直接知ってる世代を取材して特集番組を作り、記事を書いているでしょう。
20年後に、第三次世界大戦のあとの平和な世界の若者に取材されたときに、「後悔の念」を語らないために
さて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではありませんが、そんな第三次世界大戦の終戦後まで具体的にイメージできたら戻ってきましょう。今日は幸いにして、2022年3月23日。日本の国会の歴史で初めて外国の首脳が単独で直接メッセージを伝え、それを国会議員のみならずメディアを通じて多くの国民が直接聴く日です。
20年後に子孫にインタビューされることになったときに、「後悔の念」を語らないようにしたいものです。
ではどうしたらいいのか?
僕は、女性と若者と芸術家に期待します。
大人の男たちは性質的にどうしても、戦うこと、勝つことを指向します。
政治家、外交官、軍人たちはミッションが「自国の益」であり、経済人のミッションは「利益」であり、これは存在の本質なので変わりません。
それらは、平和なときに世界を豊かにする規模感や自律を保って回っている場合は良きものでしょう。しかし今は、その人たちがミッションを追求すると「世界大戦」という未来が待っています。
だから、女性の皆さん、アーティストの皆さん、そして未熟者と大人が笑う若者の皆さんも、今こそ思う存分みなさんらしさを発揮して、声を大にして活動してほしいと思います。男性的な発言に寄ったり、プロパガンダ的な表現に寄ることはまったくありません。
「戦後」に皆さんが強く発信するであろう意見や表現を少し前倒して「今こそ」もっともっと強く発信してもらえませんでしょうか。「怒り」や「憎しみ」や「拒絶」ではなく、「愛」であり「友」であり「理解」や「感謝」です。
ロシアへ愛を込めて
ウクライナへの軍事侵攻を止められるのはプーチン氏だけです。
そのプーチンの気持ちを変えられる、またはプーチン氏の立場を変えられるのは、おそらくロシア国民だけでしょう。
ではどうしたら、ロシア国民がプーチンの気持ちを揺らしたり、立場を変える行動を起こすでしょうか?
世界から経済的、軍事的に追い詰められた時でしょうか?
世界から忌み嫌われ、仲間はずれにされた時でしょうか?
それとも、世界の友人から愛され、信頼され、理解され、期待された時でしょうか?
チャイコフスキーやストラヴィンスキー、ドフトエフスキーやトルストイ・・・音楽、文学、美術・工芸、バレエやダンス etc. 極めて優れた作家・作品を生み、世界中に感動と影響を与えているロシアの芸術文化、極めて優れた選手が活躍するロシアスポーツ界などを見れば、ロシア人には世界を豊かにしてくれる素晴らしいポテンシャルがあることは明らかです。
文化・表現は、その人間の全人格が現れるもの。ずるい、セコい、卑怯な、邪悪な人間では、優れた表現は決してできないものだと僕は思います。長い歴史の中で、これだけ世界に感動を与える作品や表現を積み重ねているロシア人には、世界中の人に尊敬され、愛される資格も、世界をもっと良くしていく力も、十分にあるはずです。
それだけの力があるロシア人の皆さんにしか、この戦争を止められません。どうかその素晴らしい力を、世界に力を貸してほしい。ロシア人の卓越した想像力なら、この先どうなっていくか、どう生きるべきか、どうすれば世界が平和になるか、きっと想像できるのではないかと思います。
残念ながら僕にはロシア人の知り合いはいませんが、発信していれば誰かに当たるかもしれない。ロシアの人が機械翻訳して読んでくれるかもしれない。
ロシアへ愛を込めて。