トミタプロデュースの富田剛史です。
2024年の都知事選挙は、当初世間が思いも寄らない結果になりました。メディア論の立場からも面白い変化だと思ったので、時代の変わり目の備忘録として書いておきます。

2024年の都知事選が時代の分岐点である理由

世間では、石丸候補の発言・論理展開・態度などの良し悪し、しまいに好き嫌い・・・などが喧々諤々とされていますが、そこは各人が感じ、考えて、選択すれば良いところだと思うのでここではスルーです。

僕が注目したのは、「石丸氏がメディアを使って自分の価値観と意見を発信し、それに反応した人が非常に多くいた」という点です。
それが、これまでの選挙とはまったく違うし、極めて重要な時代の分岐点だということ。

くどいようですが、中身の話ではありません。もう一度挙げておきましょう。

メディアを使って
自分の価値観と意見を発信し、
それに
共感した人が非常に多くいた

石丸氏以前に、これをここまで明快にやりきって、成功した人はいたでしょうか?

旧来の選挙の戦い方を考えると…

従前の選挙は、組織票固めです。昔もですが、いまも基本でしょう。

だから、労組、業界団体、宗教法人などと政党は「握る」わけで、そこが世の中をひん曲げて行く現況です。従来の大政党はそういう点でどこも代わり映えしません。

ところが、ITの時代になって大企業なのに社員少数の企業が増えていきます。労働組合の組織力も昔の勢いはありません。
業界団体で政治献金して…という手法が効く業界はまだそこそこあるので、組織票が無くなったわけではありませんが、昔のような人間関係も薄れ、コンプライアンス重視の世の中ですから、個々人の投票の自由を会社が奪ったなんてことになると大変です。強烈な組織力を発揮するのは宗教でつながる方々くらいではないでしょうか。

あとは、浮動票を集めるのには選挙カーで名前連呼! そして「本人」のタスキをかけて握手握手…。マニュフェストが少しは浸透した今でも、ドブイタ作戦は変わっていません。(なんだ?ドブ板って…)

そこに、石丸氏が登場した。

メディアを使って
自分の価値観と意見を発信し、
それに
共感した人が非常に多くいた

これまでも、街頭演説で人の心を掴み、政治に興味ない人の気持ちを動かしてきた人はいました。それは昔ながらの選挙の正攻法です。世界が変わる時も、小さな一滴の水がやがてうねりとなり…みたいなことはたくさんありました。黒人公民権も、プラハの春も、ベルリンの壁も・・・バタフライ・エフェクトです。目に見える、肌で感じられる時代の変化に人は感動するし、それは本当にドラマチックな瞬間です。

そういう「ドラマチックな瞬間」は、マスメディアが大好きです。マスメディアとは構造的にそのような「ネタ」を必要としているから。これまでは必ず、ある程度のうねりが出たときに、新聞、テレビなどが取り上げ、その動きが大衆にまで広がり増幅するという順番で時代の節目をみんなが共有できていました。

しかし、石丸氏はどうでしょうか?

結果的に都知事選後に、マスメディアは盛んに彼を取り上げ、もちろん今は大衆にも知られる有名政治家です。でも、先の例とはだいぶ違うと思いませんか?

メディアの本質を考えてみれば

メディアの本質は、眼の前にいない人にメッセージを届けられること」です。

渋谷の街での街頭演説で10万人を集めるのは相当大変でカリスマが必要ですが、TikTokやYouTubeでの10万回視聴は普通の人でも戦術的に積み上げて狙えます。それが100万回視聴であれば果たしてどちらが得票につながるかを考えれば、すべきことは火を見るよりも明らかです。全候補者はもっと「メディアの使い方の本質」を研究したほうが良いのでは?と思います。

街頭演説とメディアを通じた自己価値感の発信、どちらが良い悪い、本当の心が伝わる…なんて話をしているのではありません。
前者は限られた人へのリーチであり、後者は(可能性として)無限の人にリーチするということ。

今回都知事選では前回選挙に比べて5%以上全体投票率が上がっています。およそ50万票です。すべて石丸氏のおかげとは言いませんが、彼の功績が大きいのは確かではないでしょうか。

次に、メディアで表現することの最重要なポイントは、「見せる部分と見せない部分を選択できること」です。

映像には「フレーム」があり、その外側のことは分かりません。舞台に「袖」や「幕」があるのと同じです。
「そんなの当たり前…」と軽く受け流さず、この意味をよく考えましょう。街頭演説では、喋っている時以外の候補者の様子、周りのスタッフの態度や表情、何よりその場全体の様子、自分以外の聴衆の様子、いろいろなものが見えるはずです。もちろん、演説も一種の舞台ですから、見せる部分の選択はある程度できますが、メディアコンテンツにするのとは格段の差があるのは事実です。

無論、メディアなしの世界には戻れない。それならば…

「だからメディアは信用できない…。リアルが一番」などと嘆いてもダメです。メディアなしの世界にはもう戻れないのですから。

選挙の話に戻れば、僕は石丸氏のやり方が素晴らしいと伝えたいわけではありません。

メディアを使って
自分の価値観と意見を発信し、
それに
共感した人が非常に多くいた

と言っているだけです。

しかし、メディアの使い方は今回の石丸式だけではありません。また、メディアでリーチできるのは、若者層だけではありません
メディアに乗せるコンテンツだって、いろいろな作り方、共感ポイントの作り方、届け方があります

要するにみんなもっと

メディアを使い
自分の価値観と意見を発信し、
それに共感する人を増やす選挙

をしてはどうかと思います。

もちろん、直接会って話せる集会を増やすことや、選挙戦のときだけでなく普段から地道に選挙区の人の意見を聴き、自分の意見を伝え、人間関係を築いていくのがもっとも良いとは思います。ただ、区議選くらいならそれでも良くても、都知事選や国会議員を選ぶとなると、直に伝えられる人の数から本当に価値観が合う人の心を動かして当選するのは困難でしょう。

するとどうしても、票を取るために自分を曲げる、票を取るために長いものに巻かれる…という方向に行くしかない・・・理想だけでは選挙は勝てないのだよ~なんてツマラナイ話に流れがちです。

それを、案外これからはそうでもないんじゃないかと思わせてくれたのが、2024年の都知事選での石丸伸二候補でした。

何度もしつこいですが、中身の良し悪しの話ではありませんので。。。

ビジネス、エンタメなどの世界では既に起きていることだが…

ところで、

メディアを使って
自分の価値観と意見を発信し、
それに共感した人が
しきい値を越える

なんてことは、ビジネス、エンタメの世界などでは既にあちこちで起きています。

レコード会社も出版社も、既にYouTubeやブログで人気になっている表現者を後追いプロデュースしていますし、ビジネスの世界では無名の小さな起業家がWEBマーケティングを駆使してコアな人気を獲得し、そのファン層を狙って大手を動かすなんて話は日常茶飯事。

その「常識」が、政治の世界とマスメディアの世界にいる人には、実感できていない人が多いだけで、石丸氏の都知事選はビジネス的に言うならブルーオーシャンに勝負仕掛けたベンチャーと言えるでしょう。

しかし、政治は他のジャンルに比べて、言うまでもなく社会的な影響が極めて大きい。ですので、ここでブルーオーシャンを誰かに大きく先行させるのはあまりよろしくありません。

ここが時代の分水嶺ということを各党、各候補意識して、ここでやり方を大きく変えるところがいくつも出てこないとなりません。

それには、既存大政党は、まず「組織票」の組織とそこに巣食っている「魑魅魍魎」を追い出すことからですが・・・期待できないので、やはりいろいろなタイプ(価値観)の新しい政治家が、メディアで価値観の合う人にリーチするという当たり前の方法で、伸びることに期待することに致します。

私にできることがあれば、喜んでお手伝いします。価値観が合えば…ですが。

とみたつよし
メディアプロデューサー/クリエイティブディレクター