先日、USTREAMなどのライブ配信をしている人たちと意見交換の機会があって、
改めて感じたことがあるので、備忘も含めて書きとめておきます。
曰く、
「ライブ配信には限界を感じる」
「テレビが進んだように編集された録画番組へシフトするのでは」
ということなんだけど、僕にはいくつかの違和感があった。
まず、ライブが録画より劣っているのではなく、
今のネットのライブ配信が、基本的な演出がなされていないということ。
「素材編集」や「場面展開時のパーツ」や「大道具小道具や画面デザイン」、
「構成原稿」「立ち位置」「出ハケの動き」といったことだ。
それらを、事前にきっちり準備して、その上で目の前のお客の反応を意識しつつ、
時にはその練り上げた準備を惜しげも無く変更し、今の空気に対応しながら、
予定調和じゃないものに仕上げていくのが、生のエンターテインメントだし、
さらに、目の前に見えない視聴者の反応を読みながら進行するのがプロの放送マンで、
だからこそ、生放送は面白くてかつ大変なんです。
そうやってできた生放送は、やっぱり録画より面白い。
好みもあるので絶対とは言わないけれど、僕はやっぱり生が好き。
「笑っていいとも」 の本放送と増刊号、どっちが面白いですか?
「8時だヨ!全員集合」も「ザ・ベストテン」も生放送でしたね。
録画だった「ドリフ大爆笑」や歌ものの録画番組よりも完成度が足りませんか?
編集された録画か、無編集の生放送か・・・という比較ではなく、
「編集」は演出手法のひとつであり、生にも録画以上に入念な演出が必要なのだが、
今のライブ配信にはその点がまだまだ発展途上なのだろう。
「演出」というと、”事実に反した粉飾”のように思われるかもしれないが、
そうではなく、受け手側を飽きさせず、楽しくさせていく工夫ということで、
これは、リアルな世界にもとても必要なことだ。
もし国会中継や学校の授業や企業の新製品発表会をライブ中継して面白くないなら、
それ自体の演出を考え直した方がいいのではないだろうか。
カメラの向こう側のオーディエンスに向けた演出をするかどうかはともかく、
少なくとも目の前の人は感動しているのかどうかは考えたい。
そしてそれは、あらゆることに言えることだとも思う。
たとえば、友だちや恋人や子どもと一緒の時間だって、
演出を意識しているのとしないのとでは大きな違いが出る。
好かれようと思えば…、相手に自分の言うことを聴いてもらおうと思えば…、
誰だって意識するわけです。
お店だって会社だって同じ。その集合体である街だって同じ。
もうお分かりでしょうが、これが僕が言っている「メディア化」の必要性です。
いつ、どの時間を切り取って番組にしても大丈夫なくらい、
受け手の目を意識して「演出」していくこと。ワクワク感の充足を図ること。
ここで、より重要なのが、生放送の演出技術だ。
なぜなら、大事な誰かとの時間も、お店や街に流れる時間も「生」だからです。
後で編集して・・・は通用しない。
生番組のように何かに取組む。
相手を意識して、十分に「素材」と「時間構成」と「空間構成」を準備して、
その上で「今」を感じて、自由自在に予定を変更し、偶然性を楽しむ。
それこそが、「本番」の楽しみだ。
そのワクワク感がリアルな世界に溢れれば、人生はもっと楽しくなる。
だって、生きるってのは「生」以外にあり得ないのだから。
本文と関係ないけど、母の納骨に富士霊園に行った時に見た富士山の夕景。いやぁ生きてるっていいなぁ…の風景。