トミタブログ

生が大事。生の時代。

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久しぶりのエントリーです。 筆無精はなかなか治りません・・・
今日は、以前に考えてメモしておいたことを改めてそうだなと思ったのでアップします。
「生」ということについてのお話し。

***

最近つくづく思う、僕が好きなのは「生」なんだなと。

ラジオも舞台も街も。生だから面白い。
一方でせ〜っかく生なのに、予定調和で生じゃないモノも多い。
もったいない。発想を変えた方がいい。

例えば、生放送なのにまったく台本どおりに進行するラジオ番組。
それも、読み方の「表情」まで予定調和で、
自分の中でまさにいま沸き上がる要素が一つもないような番組は
本当につまらないし、当然ながら人気も出ません。

生の舞台なのに、生きてない芝居ってのもあります。

食事に行っても、料理人の「生」を感じる店と、予定調和の店があります。
予定調和の極地は、誰も料理をしない店。
包丁一つない飲食店というのが存在しているという事実・・・
これからますます「生」がキーワードになるよ!
ナマは生きること。
ナマは生まれること。
ナマは生み出すこと。
生は一瞬たりとも同じ状態じゃない。
生まれ変わり続けることだけが「生」であり、
生まれる速度が死に行く速度にかなわなくなることが「老化」であり、
その速度が限界点を超えたときに「死」が訪れる。
20世紀は、「記録」と「所有」の時代だったと言えるでしょう。
何でも<レコード>した。何でも<コレクション>しました。
21世紀は、「体感」と「共有」の時代です。
言い換えれば、「生」の時代ということ。

生の時代は大変です。
かつての狩猟採集民の時代はまさに生の時代。
それは、生きるのに五感を駆使し、ある種才能や運も必要としてきた時代。

だからこそ、安心していられるように、人は不確定要素を減らしてきたのでしょう。
おかげでかなり不確定要素は減ったのですが、一方で「生」の感覚がどんどん薄れ、
なんのために生きているのか分からない、本末転倒な状況にまでなってきました。

いまさら狩猟採集民に戻るのはできませんが(笑)
もともと「生きる」ためだったことは忘れずに、
せっかくのこの命、毎日「生きて」いたいとは思います。

つまり、人生って、イキイキ生きられるかどうか、
いや自分が生きるかどうかが大事なんでしょう。

自分に主体があれば、つまり本当に自分が“生きて”いれば、
あらゆることはオモシロイし、逆にあらゆることは大したことじゃない。

要するに、世の中のすべて・・・食はもちろん、美しいもの、楽しいこと、
気持ちいいこと、ドキドキすること、悲しいことや寂しいことなども含めて、
ありとあらゆるものから「生」の刺激を自分の五感に栄養として与えて、
それを糧に自分の中からも何かを生み出して、
そして自分自身を生かし続けることなのです。

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