去る7月28日(月)、福岡・天神のエルガーラホール会議室に九州各県から代表メンバーが集まって、環境省の主管する学校現場でのESDプログラム実施プロジェクトの運営会議が開かれました。

富田も、ここ数年委員を務めているEPO九州の運営委員として出席させていただきました。

その後の福岡市役所での会議があって、最後はやや早めに中座する形になってしまいましたが、その後どうだったかを事務局にきいたところ、交流会の場でこんな言葉が出たという話を聴いて嬉しく思ったので備忘に書きとめておきます。

それは・・・

「勝ち組から価値組へ」。「文明のための教育から文化のための教育」。

 

ESD・・・持続可能な発展のための教育と言いますが、それは「発展」の概念を1つのベクトルで捉えていては不可能でしょう。発展し続けるためにはもっと資源を食いつぶさねばならないし、それは持続可能なわけがない。

しかし、持続可能な発展があり得るとしたら「発展」を多様なベクトルで考えること。それならあり得ます。

ただ、人間は常識に囚われますから、実際にはなかなか難しいんですが、そこを変えていけるのが教育のチカラなのではないかと思うのです。まさにそれこそがESDではないでしょうか。

***

さて、発展しているのはどちらでしょう?

  • 都会と田舎。
  • 生まれた街で一生過ごす人生と、憧れの街に出て頑張る人生。
  • 地元で採れた食材を活かす料理と、旬の食材を各地から集めて作る料理。
  • 日々ささやかな気持ちいい時間がある生き方と、普段は苦労して時々豪華なバカンスを過ごす生き方。

 

どちらが多くのお金を使わないと実現できないかは子どもでも分かりそうです。
で、その使われたお金の量と回数を数えるのが「経済」というものです。

 

では、どちらが「発展」ではなく、どちらが「好き」ですか?としたらどうでしょう。

どちらが「幸せ」でしょうか?でもいいですね。

***

私はどっちでもいいと思うのです。

いろいろなことを知るよろこびもあるし、知らない幸せもあると思います。

いづれにしてもどこかで「足るを識る」を知らないと満足感は得られませんが。

一番大切なのは、価値観の軸を自分で持つこと。

何が価値が有り、どういう順番をつけるのかは自分で決めるという意志。

そこがESDということの本質なのだろうと思います。

***

本来であれば、先生方は子どもたちに「価値観はひとつじゃない」ということを教えてほしいと思いますが、なかなかそれは難しいでしょうね。なぜなら、先生方も文科省の「指導要領」というひとつの価値観に従わざるを得ないので

そういう想いをもった先生がいたとしても、自分の授業でそれを実践すれば上や周りから何を言われるか分からない…。「職業」としての教員を平穏に続けるにはその選択はできない…。といったことがたくさんありそうな気がします。

そこで、期待されるのが今回の環境省のように、別のプログラムで動いているNPOなどの団体です。

教育現場の人たちは、自分たちだけではやれないことを託す想いで、教員以外による教育に期待を寄せているのでしょう。文科省管轄じゃない人たちがある程度の公的使命をもって、学校の現場の授業という公の枠組の中に入り込み子どもたちに教えてくれること。こうした中から「好例」が積み重なり、広がっていくことを期待しているはずです。

 

だからこそ、僕はこの団体の皆さんに、「価値観はひとつじゃない」ことを教えることを強く意識して頂きたいと思うのです。そこが現教員の皆さんにはしたくでもできない、そしてESDにとって最も重要なことなのではないかと。

実際の現場では、皆さま本当にいろいろ大変だろうと思いますが、頑張ってください。

僕にできることは応援させて頂きます!