トミタプロデュースでは、関門海峡と関門エリアのブランドUP、宿泊観光客増に繋がる施策を目指し、この夏より「関門エリアのメディア化プロジェクト」をスタートすることになりました。まずはこちらのサイトをご覧になってからこのBlogを読む方が面白いでしょう。

【関門時間旅行】-海峡都市で、会いましょう。-
 https://kanmontime.com

ちょっと変わったやり方に見えるかもしれませんが、富田がいつもいう「メディア化」が、地方創生にとって「例え話」ではなく具体的な方法論であることを示す事例になるでしょう。そこで、他の皆さんにも参考になればとトミタブログでは少し舞台裏をお見せします。

 

プロジェクトスタートの経緯

自治体の情報発信戦略の支援もしているトミタプロデュースに、北九州市、下関市の両市が、「関門」という特別な魅力を持つエリアをもちながら、それを全国に向けなかなかうまくアピールできていないというご相談がありました。
観光客も他のエリアのようには伸びておらず、特に宿泊者をもっと増やしたいというニーズ。

そこで、これまで携わった地方創生経験とメディア論の視点でこうアドバイスしました。

1、「関門は特別である」という認識からスタートしたほうがいい

関門海峡エリアは、地方創生のニーズが強い地域でよくいわれる「大した魅力が何もない」とは対極で、【元々超A級の魅力の宝庫】です。

関東で育った人間でも、「壇ノ浦の戦い」や「巌流島」、「高杉晋作の騎兵隊」などはもちろん知っています。個々の名前としては。しかし、それがすべて『関門』だったなんて、2008年に北九州に来るまで考えもしませんでした。【愕然】です。

そしてこの圧倒的な光景。北九州側から高速道路を走っていくと、ずっと山の中を抜けてきますから海が近いなんて想像もしていません。そこに突然視界が開け、美しい関門橋と川のように蛇行する細長い海、そこを次々連なって通るコンテナ船や客船の列が一気に現れます。【唖然】です。

これは、僕だけではないはずです。特に旅好きならみんな目を丸くし、口をあんぐり開けるであろう何もかもがあります。

歴史的エピソード、名所旧跡、魅力的な人物とストーリー、風光明媚な風景、赴きある建物や街並み、食の魅力、少し広域に捉えたときの温泉や有力神社など、これほどのコンテンツに溢れるエリアはめったになく、例えるなら「京都・奈良を中心とした近畿圏に匹敵するくらいの魅力」といえるのではないでしょうか。

他の真似をして何か新しい名物を作るというよりも、これだけ真のお宝コンテンツを持つエリアなのだから、元々の魅力をよく知らないまま生かさないのはもったいない。

 

2、そんな特別な関門地域が観光客に忘れられたのは、20世紀のメディア構造が大きい
「観光」と「有名」と「メディア」の関係

観光とは、いい方を変えれば、「風光明媚」「名所旧跡」「著名人ゆかりの何か」「非日常体験」「名物・みやげ物」などを“消費する行動”といえます。そして、これらは「有名」であることが、その価値を決めます。

つまり、誤解を恐れずいえば、「観光とは有名の消費である」ということです。

では、何によって「有名」になるのか?

答えは「メディア」です。

逆にいうと、メディアに取上げられない = 世の中に無きに等しい存在になります。直接関わる人以外には、忘れられた存在になってしまうのです。

 

メインメディアの変化と「関門」の関係

主要なメディアはこう変化しています。

19世紀まで → 最大のメディアは「街道」であり「旅人」自身
20世紀 → マスメディアの時代
21世紀 → インターネットが情報流通の主役へ

いうまでもなく、20世紀のマスメディアの時代に「関門」は観光客から忘れられていきました。なぜか?マスメディアは次の2つは、本当は魅力があっても取り上げないからです。

① 特定少数にとっての魅力
スペースが限られる以上、多くの人が望む順で取り上げるのが「マス」の宿命
② メディア制作者から遠い所の魅力
取材時間が限られるので、制作者の近くのネタがほとんど

 

こうして、関門エリアは、次のようにして人々の記憶から遠のいて行きます

 

江戸時代までは、旅人自体が最大のメディア。
この時代には、交通の要所であることが最大のアドバンテージだった

20世紀の当初、新聞の時代に入り、
港が栄えた関門には新聞社ができます

発信の拠点がある点でも、
海峡が相変わらずすべての旅人にとって要所である点でも、
まだ関門のメディア力は落ちなかった

20世紀後半に入り、関門橋と関門トンネルができ、
旅人は海峡を通り過ぎるようになり、
同時期にマスメディアも発信拠点を閉じていき、
徐々に話題に上らないエリアになった

テレビの時代になり、
メディアの拠点は山口市、福岡市に完全に移ってしまい、
関門がメディアに登場する機会はほとんどなくなっていった

 

メディアの主役が変わった今、自分たちで楽しんで、発信すればいい

しかしいま、情報流通の主役はインターネットになり、私たちはメディア環境を自らコントロールできる時代になりました。旅人の多くは、インターネットで情報を知ります。

だったら、マスメディアが取り上げなくても、このエリアの特別な魅力に反応してくれる人だけに向けて、自分たちがメディアになっていけばいいわけです・・・。

 

そんな話をしていたら、「ぜひそれ、実現しよう」という話になってきました。

「関門エリアのメディア化」

いやぁそれはやりがいのある仕事には違いありませんが、大変な役回りです。

わたしは、確かに仕事でこのエリアは何度も訪れ、大好きな場でもありますが、もちろん完全なよそ者です。「まちづくり」は、地元の方々が長年苦労して実績を重ねておられます。地元の方々の地域への愛情もプライドも極めて高いエリア。

関門の魅力を考えることをテーマに、シンポジウムやセミナーは民間団体も両市大学も何度も取り組んでおり、「いまさらあなた何の研究ですか?」といわれそうです。

 

だけど、実際に来てみるまで、僕にはその魅力は伝わっていませんでした。

前述の「関門が忘れられたメディアロジック」は実際その通りだと思いますし、それをひっくり返すには、とにかく旅人に向けて情報発信するメディアが必要です。

どこまでできるか分かりませんが、とにかくやってみますか・・・。

 

そこで私は、ひとつのキーワードを設定しました。

『海峡都市 関門』です。

 

「海峡都市 関門」という像を着地させていく作業

関門の情報が発信されずらかった大きな理由は、「関」と「門」は異なる行政区だったことです。「関門」という行政区はいまもありません。関門海峡も蛇行する海の上の蛇行した県境によって、福岡県と山口県とに分かれています。

すると、旅行サイトでもガイドブックでも、福岡県と山口県のそれぞれ離れたページにバラバラになってしまうわけです。

しかし、どう考えても「関」と「門」と関門海峡は、いっぺんに楽しむからこそ他では味わえない旅になるエリア。この感じがまったく伝わっていないんだなぁと思いました。

 

世界の海峡沿いの都市を調べていくと、ある種似たような特色があることが見えてきます。異文化のグラデーションです。日常に「旅」の時間を内包しているのが「海峡都市」の特徴です。

そんな「海峡都市」と呼べる街は、日本には関門くらいではないでしょうか。

だったら「海峡都市」というイメージが「下町」とか「港町」とか「城下町」みたいに多くの人に何か共通のいい感じの像を結べば、「海峡都市に旅したい」「自分は海峡都市で育った」「海峡都市に住みたい」「海峡都市で働きたい」などとなってくるのではないか・・・。そう考えたわけです。

 

あとは、番組を立ち上げるためのキャスティングと同様です。

このエリアについて専門的に調べたり深く考えたりしている人はたくさんいて、既にかなりの活動をされています。同じことをしても仕方ありません。

そこで考えた末、いろいろな分野の「好奇心」を集めることにしたわけです。

せっかくこんなに面白いコンテンツ満載のこのエリアなんだから、まずはいろんな好奇心を持つ人が最高に楽しんで、その様子をどんどん発信していけばいいのではないか・・・

 

集めたメンバーは、以前から知っている人もいましたし、ぜんぜん知らない人に突然メールし、電話し、会いにも行きました。そして話をし、自分が思うメディアに必要な人材を、ジグゾーパズルのように揃えていきました。地元の人もいますし、よそ者もいます。若者も年寄りもいます。直感的な人も理論派もいます。

とはいっても、我々はこのエリアのこと知らないことだらけですし、だからこそ調べたり、人に会ったり、歩きまわったりするのが楽しくて、ワクワクします。

でも「旅」って、そういうものではないでしょうか。

そして、メンバーはまだまだ募集します。自分なりの好奇心で「海峡都市 関門」に流れる時間の魅力を切り取って発信してくれる人がどんどん集まってくれたら嬉しく思います。

情報だけでなく、「商品」や「サービス」として、「海峡都市 関門」の魅力を提供するひともたくさん必要ですから、そうしたビジネスをしている人も、一人また一人と仲間になっていって欲しいと思っております。それは旅のコンテンツそのものですから。

「海峡都市 関門」には、日常の隅々に「旅」の匂いが溢れ、旅人の想像力を刺激する何かが溢れています。よろしければご一緒に、「関門時間旅行」へ。

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